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福岡高等裁判所宮崎支部 昭和57年(う)35号 判決 1991年7月18日

本店所在地

宮崎市高千穂通一丁目七番二四号

岩切商事株式会社

右代表者代表取締役

岩切博盛

本籍

宮崎県東諸県郡国富町大字嵐田二五七六番地の一

住居

宮崎市高千穂通一丁目七番二四号

会社役員

岩切博盛

大正一三年二月二八日

本籍

宮崎市下北方町塚原五八三六番地

住居

同市大字瓜生野二二七〇番地

不動産業手伝

大野惟孝

昭和二年四月二八日生

右岩切商事株式会社および岩切博盛に対する法人税法違反ならびに大野惟孝に対する所得税法違反および預金等に係る不当契約の取締に関する法律違反被告事件について、昭和五六年一二月一日宮崎地方裁判所が言い渡した判決に対し、各被告人から控訴の申立てがあったので、当裁判所は、検察官三苫好美出席の上審理し、次のとおり判決する。

主文

原判決を破棄する。

被告人岩切商事株式会社を罰金五〇〇万円に、同岩切博盛を懲役六月に、同大野惟孝を懲役八月および罰金一五〇万円にそれぞれ処する。被告人大野惟孝において右罰金を完納することができないときは、金五万円を一日に換算した期間同被告人を労役場に留置する。

被告人岩切博盛および大野惟孝に対し、この裁判確定の日からいずれも一年間右懲役刑の執行を猶予する。

原審における訴訟費用中、証人谷口秀精(昭和四三年(わ)第二一五号事件の第三七回公判期日分を除いたその余の全部)、同植木忠義、同巽千枝子、同川良義光、同石川文洋、同大川武、同野崎恭平(昭和四四年(わ)第一五八号、昭和四五年(わ)第一九九号事件の第四九回公判期日分のみ)および同岡勢隆平に支給した分は、その三分の一宛を被告人三名の、証人矢野温三(昭和四四年(わ)第一五八号、昭和四五年(わ)第一九九号事件の第五二回公判期日分のみ)、同甲斐則一(三回分共)、同磯崎良一、同西村利光、同妻木龍雄、同小林文治、同服部盛隆、同川崎ミサ(二回分共)、同谷口三重子、同田北勲及び鑑定人富永欣一に支給した分は、その二分の一宛を被告人岩切商事株式会社および同岩切博盛の、証人谷口秀精(昭和四三年(わ)第二一五号事件の第三七回公判期日分)に支給した分は、その二分の一を被告人大野惟孝の各負担とし、当審における訴訟費用は、被告人大野惟孝の負担とする。

理由

本件控訴の趣旨は、被告人岩切商事株式会社及び同岩切博盛が連名で差し出した控訴趣意書、右両被告人の弁護人佐々木曼、同塚田善治が連名で差し出した控訴趣意書ならびに被告人大野惟孝の弁護人佐藤安正が差し出した控訴趣意書に記載されたとおりであり、これに対する答弁は、検察官松尾司が差し出した答弁書に記載されたとおりであるから、これらを引用し、これに対し次のとおり判断する。

右弁護人佐々木曼、同塚田善治の控訴趣意第一点(訴訟手続の法令違背)について

所論は、要するに、検察官は、昭和四四年一一月二六日付起訴状により、被告人岩切商事株式会社(以下、単に「岩切商事」ともいう)および被告人岩切博盛に対し、昭和四〇年一〇月一日から昭和四一年九月三〇日までの事業年度(以下、第一事業年度」ともいう)における岩切商事の所得金額が一四三五万四八五二円でこれに対する法人税額が四九七万二七二〇円であるに拘わらず、架空仕入を計上しあるいは架空名義の簿外預金を設定する等の不正行為により所得の一部を秘匿したうえ、昭和四一年一一月三〇日宮崎税務署長に対し所得金額が五二六万九九八八円でこれに対する法人税額が一七〇万二一六〇円である旨の虚偽の確定申告書を提出し、もって不正の行為により法人税額三二七万〇五六〇円を免れた旨の起訴をしたが、これは、「架空仕入の計上」による所得の秘匿のみを起訴したものであって、その余の所得の秘匿を含まないものであったところ、検察官は、突如として、昭和四五年一〇月二九日から同年一一月一九日までの間再び被告人岩切博盛の身柄を拘束して、岩切商事に関する法人税逋脱につき取調を行い、同月二八日、被告人岩切商事および被告人岩切博盛に対し昭和四一年一〇月一日から昭和四二年九月三〇日までの事業年度(以下、「第二事業年度」ともいう)における法人税逋脱分について追起訴をなし、更に、昭和四六年三月二三日、当初起訴に係る第一事業年度における法人税逋脱に関し、前起訴分とは別に一二八二万一四八五円の「受取利息の除外」ありとして、これを当初の起訴事実である「架空仕入の計上」金額に追加して、所得金額を二七一七万六三三七円となし、これに対する法人税額を九五八万八四六〇円、逋脱税額を七八八万六三〇〇円に変更する旨の訴因変更請求をし、原審裁判所は、これを許可して審理したうえ、追加訴因の殆ど全部を有罪と認めたものである。しかし、検察官は、一事業年度内での所得の発生原因が異なっていても公訴事実の同一性のあることを悪用して、先ず、時効完成寸前の昭和四四年一一月二六日に「架空仕入の計上」部分についてのみ公訴提起をして時効の進行を停止させておき、当初の起訴から約一年四月後に、前期の訴因変更をなして、「受取利息の除外」を追加したものであって、原審における審理の経過とはなんら係わりなく、専ら捜査の便宜のために、この訴因変更を利用したのであるから、かかる訴因変更を容認することは、刑訴法三一二条の立法趣旨を曲解し、検察官の独占する公訴権の濫用、訴訟当事者としての誠実義務違反を許容するものにほかならず、畢竟適正手続を保障した憲法三一条に違反する訴訟手続の法令違背を犯したもので、この誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、原判決は破棄を免れない、というものである。

そこで、判断を加える。訴因は、公訴事実を特定するとともに、攻撃防禦の対象を明確にし、もって被告人の防禦権の行使に遺漏なからしめようとする目的を有するものである。しかして、法人税逋脱罪につき、裁判所が被告会社の逋脱所得を認定するにあたり、検察官の主張しなかった勘定科目である仮払金、貸付金を新たに加え、また、検察官の主張した勘定科目である借入金を削除するような、被告会社に不利益に認定する場合には、訴因変更の手続を必要とするものと解される(昭和四〇年一二月二四日最高裁決定刑集一九巻九号八二七頁参照)。そうすると、本件は、検察官が当初訴因として主張しなかった、「受取利息の除外」を認定するためには、訴因変更の手続を必要とするものであることは明白である。そして、刑訴法は、訴因の追加、変更の時期につき明示の制約を設けていないのであるから、被告人の防禦権の行使を特に妨げない限り、その時期に制約はないものと解するのが相当である。本件の訴因変更の手続は、当初の公訴提起から約一年四月経過した後になされたものであることは所論のとおりであるが、原審における審理の経過に照らすと、被告人の防禦権の行使に特段の支障を生じさせたものとは認め難いから、本件訴因変更の手続になんら違法の点はない。もっとも、本件訴因変更手続の経緯に照らすと、検察官は、先ず、第一事業年度の法人税逋脱について、時効完成寸前に「架空仕入の計上」のみを訴因に掲げて公訴提起をして、取り敢えず時効の進行を停止させたうえ、その後捜査を継続して、約一年四月経過後に「受取利息の除外」を追加する訴因変更請求をなしたものであることが明らかであり、これに徴すると、検察官は、専ら捜査の便宜のため訴因変更の手続を利用したものと論難されて止むをえない点の存することは否み難いところである。しかし、本件法人税逋脱の犯行の発覚の時点において、既に、第一事業年度分に関し時効完成の時期が切迫していたこと等の事情に照らすと、検察官が、時効完成の寸前に取り敢えず捜査の終了していた「架空仕入の計上」による法人税逋脱分についてのみ公訴提起をして、時効の進行を停止させたうえ、その余の所得の秘匿分についてはなお捜査を継続して、当初の起訴から約一年四月経過後に「受取利息の除外」による所得の秘匿につき訴因変更の請求をなすに至ったのも止むをえない事情によるものというほかなく、そして、訴因変更後の審理の経過に鑑み、被告人の防禦権の行使が特に妨げられたものと認められない以上、検察官の右措置をもって、にわかに本件訴因変更を許容できない程度に重大な公訴権の濫用とまではいい難いから、本件訴因変更を許容した原審の措置を憲法三一条の適正手続の保障に反するものとはいうことはできない。論旨の理由がない。

右弁護人佐々木曼、同塚田善治の控訴趣意第二点、被告人岩切商事および同岩切博盛の控訴趣意(事実誤認の主張)について

所論は、多岐にわたるが、要するに、原判決は、被告人岩切商事が、第一事業年度および第二事業年度を通じ、公表経理上いわゆる「架空仕入」を計上し、また、赤江農業協同組合管理課長谷口秀精を介して、中村勇夫に対し、一八回に亘り合計二億七〇〇〇万円を貸し付け、右貸付金に対する利息五四七五万円を受領しながら、この受取利息を除外する等の不正の行為により、所得の一部を秘匿し、もって、第一事業年度の法人税七八四万一一六〇円および第二事業年度の法人税一五一一万〇五五〇円をそれぞれ免れた旨認定して、被告人岩切商事およびその代表取締役である被告人岩切博盛をいずれも有罪としたが、これは、岩切商事においては、もとより架空仕入の計上を行ったことはなく、また、赤江農業協同組合の要請にしたがい、預金をしてやったことはあるものの、中村勇夫に貸付を行ったことなどは全くなく、同人から利息を受領したことはないのに、証拠の価値判断を誤り、事実を誤認して右被告人を有罪としたものであって、これが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄を免れない、というものである。

先ず、受取利息の除外の点について、検討を加える。

原判決挙示の関係証拠によれば、被告人岩切商事が被告人大野惟孝を介して中村勇夫に対する簿外貸付をなし、これによる受取利息を除外していたことは、後に判示するとおり、貸付、受取利息除外に関し原判決の認定を一部改める部分があるほか、原判決が「争点についての判断」の第四の一、二中において判示する部分は概ね正当として是認しうるものであって、当審における事実調べの結果および原審において取り調べたその余の証拠によるも右認定を動かすに足りない。すなわち、中村勇夫は、昭和四〇年六月頃、通称希望ケ丘団地の土地買収、宅地造成事業に着手していた宮崎建設開発株式会社の後を引き継いで、宅地造成事業を開始したが、自己資金に不足していたことから、知己の間柄にあった金融業者被告人大野惟孝の仲介で他から資金を借入れるようになり、先ず資金借入先として被告人岩切商事を紹介されたこと、しかして、最初は、原判示「争点についての判断」の第四の一(二)(1)のとおり、昭和四〇年一〇月一五日、被告人岩切商事が、赤江農業協同組合の了承のもとに同農業協同組合に対し一五〇〇万円を期間三ヶ月の定期預金として預け入れ、その見返りに、中村勇夫は、同農業協同組合から川崎重逸名義で一〇〇〇万円を借入れる一方、被告人岩切商事に対し月五分の割合による三月分の裏利息を前払したものであること、中村勇夫は、翌四一年一月一四日の期限にこの借入金を一旦返済したが、その後も、同年三月以降、度々同じく被告人岩切商事から資金の融通を受けることとなったものの、被告人岩切商事側と直接交渉したことは一度もなく、大野惟孝を介して借受けの話を取決め、それにしたがい、常に同農業協同組合の管理課長谷口秀精が被告人岩切商事に赴いて、貸付金の授受を行い、また、裏利息の支払も、中村勇夫は授受に直接関与せず、大野惟孝を介してなされたこと、しかるところ、中村勇夫は、宅地造成継続のための資金繰りに苦しみ、被告人岩切商事からの融資のみでは間に合わず、中メガネ店経営の中清子ほか谷口智明、森野章ら中メガネ店グループ関係、岡勢隆平関係等へと、融資受入先を拡大していったことが明らかである。

そして、本件において、留意すべきことは、中村勇夫が死亡したことにより、同人の供述調書は一切反対尋問にさらされていないことである。しかも、前示のとおり、中村勇夫は、岩切商事との間で直接借入交渉をなしてはおらず、また、裏利息の支払にも直接は関与していないのである。しかして、原審は、中村勇夫の資金繰りに協力し、同人と岩切商事との間でも仲介役を果たし、その間の金銭等の動きに詳しい、谷口秀精の原審証言および中村勇夫の大蔵事務官に対する各質問顛末書、検察官に対する各供述調書を主たる証拠資料として、概ね検察官の主張に副う、岩切商事から中村勇夫に対する簿外貸付の事実を認定しているものである。

しかし、右の中村勇夫の各供述調書等は、被告人岩切商事からの借入に関し、これを逐一記載した正確な記録が存しなかったことから、各預金口座の金銭出納、小切手等に基づき、記憶を喚起して作成されたものであるため、前記の借入の事情に徴し、中村勇夫本人の記憶違い、あるいは、思い込み違いがあり、したがって、必ずしも全てについて正確を期し難いものである。また、一方、谷口秀精の原審証言も、その供述どおりとすると、中村勇夫は、岩切商事から借入れた元本額を四〇〇〇万円も上回る借入金の返済をなしたこととなるばかりか、支払利息額との間にも矛盾、齟齬のあること、そして、谷口秀精は、当審においては、一転して、その原審証言を翻すのみならず、寧ろ、積極的に被告人岩切商事らの主張に副う供述をなし、更に、中村勇夫が中メガネ店グループ関係から多数回に亘り、合計二億五〇〇〇万円程度の借入をしていたこと、そして、中メガネ店グループ関係が自己の親戚筋に当たることから、それからの借入に関して真実を隠していたことを告白するに至っているものである。したがって、谷口秀精の原審証言は、殊更真実を秘匿しようと計った部分のある疑いが強く、全面的には信用し難いものであり、同証言中において、岩切商事からの簿外貸付とされているもののなかに、中メガネ店グループ関係等他からの融資分が含まれていないか、慎重に検討する必要がある。

先ず、主要な問題点につき個別に検討を加える。

「原判決争点についての判断第四の一(二)(3)昭和四一年三月三一日の一〇〇〇万円の貸付」について

所論は、右一〇〇〇万円のうち、一〇〇万円は、山下哲夫が資金を出しているものであるから、仮に、中村勇夫から裏利息の支払がなされているとしても、右一〇〇万円に対する分は、山下哲夫に帰属するものであって、被告人岩切商事に帰属するものではない、というので、以下判断を加える。関係証拠によれば、右貸付金一〇〇〇万円は、現実に岩切商事側から交付された金種の内訳が、被告人岩切商事振出の額面九〇〇万円の小切手と現金一〇〇万円とに区分されて交付されているうえ、九〇〇万円が被告人岩切商事の普通預金、残り一〇〇万円が山下哲夫名義の普通預金として、明確に区分してそれぞれ赤江農業協同組合に預け入れた形式を取っていることが明らかである。そうすると、右山下哲夫名義の金員に対する裏利息分五万円が、被告人岩切商事に現実に帰属していることを明らかになしうる資料の存しない本件においては、この利息分五万円は被告人岩切商事の所得とはなっていないものと認めるほかならない。

「原判決争点についての判断第四の一(二)(17)昭和四二年三月三一日の四〇〇〇万円の返済と同日の四〇〇〇万円の貸付」について

この点に関する原判示は、関係証拠に照らし一応肯認しうるものである。しかし、谷口秀精は、当審において、備忘録(福岡高裁宮崎支部平成元年押第一号の符号八五)(以下、押収物については符合のみを表示する)の記載に徴し、昭和四三年六月現在での赤江農業協同組合の簿外預金残高に中清子六四〇〇万円、森野章(中清子の実弟)一二〇〇万円があったこと、中清子ら中メガネ店グループからの借入が昭和四一年始め頃から既になされていたこと、更に、昭和四二年四月始め頃、中村勇夫が中清子から四〇〇〇万円を借り入れた事実のあったことを証言している。そして、中村勇夫は、捜査段階の初期に、捜査官に対し、「自分の宅地造成が完成しない限り、赤江農業協同組合に対する借入を返済できず、同農業協同組合の資金に穴が開く状態となるため、谷口秀精がすすんで資金繰りに協力してくれていたが、途中で、中メガネ店から資金の借り入れを交渉してやるから、それで農協関係の借入を一旦清算してくれ、と申入れられ、昭和四二年四月三日、谷口秀精とともに中清子方に行き、内縁の夫である谷口智明に頼んで、中清子から四〇〇〇万円を借り入れて、岩切商事からの借入を清算した旨供述している(司法警察員に対する昭和四三年九月七日付供述調書〔当審提出分〕)。しかして、これは、岩切商事の赤江農業協同組合の預金通帳(符号六四)に「昭和四二年四月三日四〇〇〇万円払戻残高零」となっていることにも符合しているから、この時に、中清子から四〇〇〇万円を借り入れて、被告人岩切商事からの借入金残高四〇〇〇万円を一旦清算した疑いが強い。したがって、以後中村勇夫が行った、残高四〇〇〇万円分に対する裏利息の支払は、中清子に対してなされたものと認めるほかならない。

「原判決争点についての判断第四の一(二)(18)昭和四二年七月二五日の一〇〇〇万円の貸付と同年一〇月二五日の一〇〇〇万円の貸付」について

中村勇夫の検察官に対する供述調書添付の上申書(記録一一六一丁)、同人の大蔵事務官に対する昭和四四年七月二六日付質問顛末書(記録一六六四丁)中には原判示に副う部分があるものの、他方、同人は司法警察員に対する昭和四三年九月二〇日付供述調書(当審提出分)中において、「大野惟孝は、この一〇〇〇万円の借入二回について、実際は、岩切商事から出た金ではなく、岡勢隆平から借りてきた金であるのに、私には、岩切商事から借りてきたようにいって、裏金利八分一月分の八〇万円宛を私から取っていた、このことは、谷口秀精が岩切商事に返済に行ったときに判った」旨供述し、また、被告人大野惟孝も、当審第六回公判において、この各一〇〇〇万円二回の借入に関して、いずれも、岡勢隆平名義の導入預金の実質上の金主である小林から借入れたものである旨供述し、中村勇夫の右供述を裏付けているのである。そうすると、この点に関する谷口秀精の原審証言が、極めて曖昧であって、岩切商事からの出金を確証するに足るものでなく、また、他に岩切商事からの出金を確実に証明しうる、小切手等商業証憑の見当たらない以上、この各一〇〇〇万円二回の借入は、岩切商事からのものと認めるのは相当でなく、この点に関する原審の判断は、事実を誤認したものというほかない。

「原判決争点についての判断第四の一(二)(20)昭和四二年一〇月二四日の一〇〇〇万円の貸付」について

関係証拠によれば、昭和四二年一〇月二四日に宮崎信用金庫の中村勇夫名義の口座に一〇〇〇万円の入金がなされていることは明らかであるが、しかし、これに対応する岩切商事からの出金を確実に証明しうる、小切手等商業証憑が見当たらないところ、原判決は、谷口秀精の原審証言および中村勇夫の供述調書に基づき、岩切商事からの貸付による口座入金である旨認定している。しかして、原判決は、他方、同判示第四の一(三)(24)「昭和四二年一〇月二四日の一〇〇万円の支払」において、中村勇夫は、右一〇〇〇万円の借入に対する一月分の利息一〇〇万円を同日現金で大野惟孝に手渡して支払ったものであり、その資金源は、谷川内数雄へ売却した土地、建物代金の一二〇万円である旨認定している。しかし、右土地、建物の売却は、関係登記簿謄本(記録三五一二丁、三五一六丁)によれば、昭和四二年一一月二九日付の取引を原因として翌三〇日その登記手続が完了していることが明らかであるから、その取引の一月以上前に、内金の交付その他代価の支払がなされたことを窺わせるに足る証拠の見当たらない以上、売買成立前の一〇月二四日に既に代金の支払を受けていたというのは疑問の存するところであり、この点に中村勇夫の供述は極めて疑わしいものというほかない。そうすると、検察官主張の借入金に対する利息の支払に疑義があり、そのうえ、岩切商事からの貸付金の出金を確実に証明しうる、小切手等商業証憑の見当たらない本件においては、にわかに、前記一〇〇〇万円の口座入金が、岩切商事からの借入によってなされたものとは認め難く、この点に関する谷口秀精の原審証言、中村勇夫の供述調書は信用し難い。この口座入金を岩切商事からの借入によるものと断定した、原審の認定は疑問の存するところであり、事実誤認の疑いが残る。

「原判決争点についての判断第四の一(二)(19)昭和四二年九月三〇日の一五〇〇万円の返済と同日の一五〇〇万円の貸付」および同(24)昭和四二年一二月二九日の一〇〇〇万円の返済と同月三〇日の一〇〇〇万円の貸付」について

原判決は、谷口秀精の原審証言、中村勇夫の供述調書等に基づき、それぞれ、一五〇〇万円および一〇〇〇万円の各借入金の切替である旨認定している。しかし、昭和四二年四月以降、岩切商事からの新規借入を確実に証明するものがなく、いずれについても、そもそも借入残高の存在が認められないのであるから、借入金の切替そのものが認められないこととなり、したがって、この点に関する、右谷口秀精の原審証言、中村勇夫の供述は、いずれも信用し難いものといわざるをえない。もっとも、谷口秀精の当審証言および岩切商事名義の赤江農業協同組合の預金通帳(符号六四)の記載等関係証拠によれば、岩切商事から同農業協同組合に対し、昭和四二年九月三〇日付の一五〇〇万円の預入と同年一〇月二日付の同額の払戻、および同年一二月三〇日付の一〇〇〇万円の預入と翌四三年一月五日付の同額の払戻の存在が窺われ、この各金銭の移動自体は、被告人側の認めるところである。しかしながら、これは、いずれも極めて短期間の預入に止まるので、中村勇夫に対する新規貸付としてなされたものとは到底認め難い。

以上のとおりであるから、昭和四二年四月の四〇〇〇万円の返済の後に行われた、元金の返済、利息の支払は、いずれも岩切商事に対してなされたものではないというほかない。

以上により、被告人岩切商事から中村勇夫に対する本件簿外貸付関係を纏めると、昭和四〇年一〇月一日から翌四一年九月三〇日までの第一事業年度については、別紙(1)、昭和四一年一〇月一日から翌四二年九月三〇日までの第二事業年度については、別紙(2)のとおりとなる。

次に、架空仕入れの計上について、検討を加える。

原判決挙示の関係証拠によれば、架空仕入れ計上に関する原審の認定は、全て正当として是認することができ、当審における事実調べの結果および原審において取り調べたその余の証拠によるもこれを動かすに足りない。所論は、当該商品は、正常なルートで仕入れたものではなく、倒産者からの引上げ品または工事等の浮かし資材等であったため、売手側の正体を明らかにすることのできなかったものであるなどと主張し、被告人岩切博盛もこれに符合する供述をする。しかし、所論の、いわゆるブローカー仕入といわれる、スポット買いについては、商品の品質保証に問題があるため、入荷時の数量、品質等の検査を厳格に行い、また、仕入価格は通常仕入よりも安価であるのが、通例であり、更にまた、他方売主側においては、換金目的から、代金決済を通常取引のものよりも有利にするため、引渡時の一時払いを要求するのが、普通である。しかるに、本件の場合、仕入価格が格別安価とは認められず、また、現品の荷受け、検収を厳格に行ったと認めうべき資料も見当たらないばかりでなく、代金決済も、仕入時期より大幅に遅れているなど、到底所論のスポット買いによる仕入とは認め難く、この点に関する同被告人の供述は信用し難い。また、所論は、原審が架空仕入と認定した商品は、得意先に販売されているのであるから、原判決は事実を誤認している旨主張し、被告人岩切博盛は、その販売先を具体的に説明して、これに符合する供述をしている。しかし、関係証拠によれば、本件商品は、常時相当数量の在庫のある品種、規格のものであると認められるから、商品の受払数量につき、その各商品の出入を確実に把握しうる在庫管理台帳等の見当たらない本件においては、架空仕入とされる商品と同品種、同規格のものの販売先があるからといって、これをもって、直ちに当該品が架空仕入とされた商品であると断定することはできず、この点に関する同被告人の供述はにわかに採用できない。

以上にしたがい、被告人岩切商事の各事業年度の各逋脱額を算定すると、別紙(3)ないし(6)のとおりとなる。したがって、原判決は、被告人岩切商事の各事業年度につき、その受取利息除外額の認定を誤り、ひいては、各逋脱税額の認定を誤ったものであり、この誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかであって、破棄を免れない。論旨は理由がある。

弁護人佐藤安正の控訴趣意について

所論は、要するに、原判決は、判示の罪となるべき事実第二の一について、被告人大野惟孝の昭和四二年度中の所得に、岩切商事の中村勇夫に対する貸付に関する手数料として二五八五万円、岡勢隆平の赤江農業協同組合に対する導入預金に関する手数料として九四五万円の各収入があった旨認定しているが、これは明らかな事実誤認である、すなわち、同被告人が中村勇夫に対する貸付に関して手数料を取得した事実を認めるに足りる十分な証拠はなく、また、同被告人は、昭和四二年七月三〇日まで金融業を営んでいた、大興商事株式会社(以下、「大興商事」ともいう)の代表取締役として、その業務を行っていたのであるから、仮に、中村勇夫に関する仲介手数料をえていたとしても、そのうち、昭和四二年七月二五日までの分である合計一一四〇万円は、大興商事の所得に帰属するのであって、同被告人個人の所得に帰属するものではない、同じく、岡勢隆平の導入預金に関する手数料も同日までの分合計六四五万円は、大興商事の所得であって、同被告人の所得ではない、仮に、右各手数料収入が全て同被告人個人の所得と認められるとしても、岡勢隆平の導入預金に関して同被告人の取得した手数料額は、月一分の割合による総額四五〇万円に過ぎないのである。また、同判示第二の二の(1)および(2)の各事実に関し、預金者が特定の第三者と通じてなすことが、預金等に係る不当契約の取締に関する法律第二条第一項違反の成立要件であるところ、預金者岡勢隆平は、中村勇夫を全て知ることがなく、もとより、これと通じることがなかったにも拘わらず、原判決は、これを有罪としているのは、事実を誤認したものにほかならず、これが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、破棄を免れないというものである。

よって、以下、判断を加える。

原判決挙示の関係証拠によれば、被告人大野惟孝が、中村勇夫からいわゆる導入預金による金融の依頼を受けて、岡勢隆平をして赤江農業協同組合に導入預金させて、昭和四二年四月一九日から同年一〇月二五日までの間に、合計九四五万円の仲介手数料を取得したこと、したがって、被告人大野惟孝、中村勇夫、岡勢隆平の三者の間に本件導入預金に関する通謀が成立していたことは明らかである。この点に関する原審の判断は、原判決中争点についての判断第九の一において説示する部分をも含め、全て正当として是認することができ、当審における事実調べの結果および原審において取り調べたその余の証拠によってもこれを動かすに足りない。(被告人大野惟孝は、当審において、岡勢隆平は名義上の貸主に過ぎず、真実の貸主は小林正雄である旨供述するが、到底採用し難い)また、被告人大野惟孝が、中村勇夫の依頼を受けて、岩切商事、岡勢隆平からの融資を斡旋仲介し、中村勇夫が支払った裏利息のうち、貸主側が取得した月五分の割合による利息分を除いた残余を仲介手数料として取得していたことを認めうることは、前判示のとおりである。

なお、所論は、右各仲介手数料は、ともに、その一部が大興商事に帰属するものであって、被告人大野惟孝個人の所得に帰属するものではない旨主張するので、判断を加える。右導入預金の仲介は、最初から最後まで、同被告人が個人として行ってきたものであり、その仲介手数料は、同被告人が自宅に保管し、自己の用途に費消したものであることは、同被告人自ら捜査段階から公判に至るまで自白していたところであり、また、岩切商事、岡勢隆平から中村勇夫に対する融資に係る仲介手数料についても、これが、大興商事の所得として処理されたことを認めうる資料の見当たらない本件においては、これも同じく同被告人個人の所得に帰属したものと認めるのが相当である。

よって、昭和四二年中の同被告人の仲介手数料の取得合計額は、別紙(7)のとおりとなり、同年中の所得額は別紙(8)、これに対する所得税額は別紙(9)のとおりとなるから、原判決は、被告人大野惟孝の同年中の所得額の認定を誤り、事実を誤認したものというほかなく、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。

そこで、刑訴法三九七条一項、三八二条に則り原判決を破棄し、同法四〇〇条但書にしたがい、更に自判する。

(罪となるべき事実)

第一  被告人岩切商事株式会社は、宮崎市高千穂通一丁目七番二四号に本店を置き建築資材および鉄鋼一次、二次製品の販売等の事業を営むもの、被告人岩切博盛は、被告人会社の設立以来の代表取締役で被告人会社の業務全般を統括しているものであるが、被告人岩切博盛は、被告人会社の業務に関し、その法人税の一部を免れようと企て、

一  被告人会社の昭和四〇年一〇月一日から昭和四一年九月三〇日までの事業年度の法人税について、真実の所得金額が別紙(3)の被告人会社の修正損益計算書記載のとおり二七〇〇万〇九〇四円で、これに対する法人税額が九五二万五三二〇円であるのに、公表経理上架空仕入を計上するほか、受取利息を除外する等の不正の行為により右所得の一部を秘匿したうえ、昭和四一年一一月一〇日、同市広島一丁目一〇番一〇号所在の宮崎税務署において、同税務署長に対し、所得金額が五二六万九九八八円で、これに対する法人税額が一七〇万二一六〇円である旨の虚偽の所得額および税額を記載した法人税確定申告書を提出し、もって、不正の行為により右事業年度の法人税七八二万三一六〇円を免れ、

二  被告人会社の昭和四一年一〇月一日から昭和四二年九月三〇日までの事業年度の法人税について、真実の所得金額が別紙(4)の被告人会社の修正損益計算書記載のとおり三三四三万六六一五円で、これに対する法人税額が一一四九万二六〇〇円であるのに、公表経理上架空仕入を計上するほか、受取利息を除外する等の不正の行為により右所得の一部を秘匿したうえ、昭和四二年一一月一〇日、前記宮崎税務署において、同税務署長に対し、所得金額が九三七万二三九九円で、これに対する法人税額が三〇七万〇二〇〇円である旨の虚偽の所得額および税額を記載した法人税確定申告書を提出し、もって、不正の行為により右事業年度の法人税八四二万二四〇〇円を免れ、

第二  被告人大野は、会社役員をするかたわら、個人でも金融業を営んでいたものであるが、

一  昭和四二年中のその所得税の一部を免れようと企て、同年中の所得税について、真実の総所得金額が別紙(8)の被告人大野の修正所得計算表記載のとおり一四八二万〇七五一円で、これに対する所得税額が六四九万二二五〇円であるのに、貸金仲介手数料の大部分を除外する不正の行為により所得の一部を秘匿したうえ、昭和四三年三月一三日前記宮崎税務署において、同税務署長に対し、総所得金額が二二七万一七五一円でこれに対する所得税額が三七万七八〇〇円(公訴事実記載の税額三一万八一〇〇円は源泉徴収税額を差し引いたもの)である旨の虚偽の所得額および税額を記載した所得税確定申告書を提出し、もって不正の行為により右年度の所得税六一一万四四五〇円を免れ、

二  宅地造成業を営んでいた中村勇夫から赤江農業協同組合にいわゆる導入預金の斡旋依頼を受けるや、岡勢隆平と共謀のうえ、

(1) 昭和四二年四月一九日、同市大字田吉一五六番地所在の右農業協同組合事務所において、岡勢が右農業協同組合に三〇〇〇万円の定期貯金(松川浩子名義で一五〇〇万円、松川嘉子名義で五〇〇万円、石川六郎名義で一〇〇〇万円)をするに際し、当該貯金に関し、正規の利息のほかに特別の金銭上の利益をえる目的で、中村と通じ右農業協同組合(行為者参事植木忠義および管理課長谷口秀精)を相手方として、当該貯金に係る債権を担保として提供することなく、右農業協同組合(行為者前同)が被告人大野および中村を介して岡勢の指定する中村に対し三〇〇〇万円の融通をなすべき旨の約束を交わし、もって、当該貯金に関し不当の契約をし、

(2) 同月二五日、右農業協同組合事務所において、岡勢が右農業協同組合に三〇〇〇万円の定期貯金(松川浩子、松川鶴子および須田十敏名義で各一〇〇〇万円)をするに際し、当該貯金に関し、正規の利息のほかに特別の金銭上の利益をえる目的で、中村と通じ、右農業協同組合(行為者前同)を相手方として、当該貯金に係る債権を担保として提供することなく、右農業協同組合(行為者前同)が被告人大野および中村を介して岡勢の指定する中村に対し三〇〇〇万円の融通をなすべき旨の約束を交わし、もって、当該貯金に関し不当の契約をしたものである。

(証拠)

次のとおり、付加するほか、原判決の証拠の摘示と同一であるから、これを引用する。

判示第一の一、二、第二の一の各事実につき

一  中村勇夫の司法警察員に対する昭和四三年九月七日付、同月二〇日付各供述調書(当審提出分)

一  当審第三、四、五回各公判調書の証人谷口秀精の各供述記載

一  当審第六回公判調書の被告人大野惟孝の供述記載

(適条)

被告人岩切商事の判示第一の一および二の各所為は、昭和五六年法律第五四号附則五条により、同法による改正前の法人税法(以下、旧法人税法」ともいう)一六四条一項、一五九条一項に、被告人岩切博盛の判示第一の一および二の各所為は、同じく旧法人税法一五九条一項に、被告人大野惟孝の判示第二の一の所為は、昭和五六年法律第五四号附則五条により、同法による改正前の所得税法二三八条一項に、同被告人の判示第二の二の各所為は、預金等に係る不当契約の取締に関する法律四条一項、二条一項、刑法六〇条にそれぞれ該当するところ(なお、各罰金刑の寡額は、昭和四七年法律第六一号による改正前の罰金等臨時措置法四条一項による)、被告人岩切博盛の判示各所為についてはいずれも懲役刑を選択し被告人大野惟孝の判示各所為についてはいずれも懲役刑と罰金刑を併科することとし、なお、同被告人には原判示の累犯前科があるので、刑法五六条一項、五七条によりその各懲役刑につき再犯の加重をし、以上は各々刑法四五条前段の併合罪であるので、被告人岩切商事については、同法四八条二項によりその各罪所定の罰金の合算額の範囲内で同被告人会社を罰金五〇〇万円に、被告人岩切博盛については、同法四七条本文、一〇条により犯情の重い判示第一の二の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で同被告人を懲役六月に、被告人大野惟孝については、懲役刑につき同法四七条本文、一〇条により犯情の最も重い判示第二の一の罪の刑に法定の加重をし、罰金刑につき同法四八条二項によりその各罪所定の罰金額を合算し、その刑期および罰金額の範囲内で同被告人を懲役八月および罰金一五〇万円にそれぞれ処し、被告人大野惟孝に対し、右罰金を完納することができないときは、同法一八条により金五万円を一日に換算した期間、同被告人を労役場に留置することとし、被告人岩切博盛および被告人大野惟孝に対し情状により同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日からいずれも一年間懲役刑の執行を猶予することとし、原審および当審における訴訟費用については、刑訴法一八一条一項本文により主文第五項記載のとおり、各被告人に負担されることとする。

(裁判長裁判官 金澤英一 裁判官 酒匂武久 裁判官 小松平内)

別紙(1)

被告人会社から中村勇夫に対する簿外貸付経過表(1)

<省略>

別紙(2)

被告人会社から中村勇夫に対する簿外貸付経過表(2)

<省略>

別紙(3)

修正損益計算書

<省略>

別紙(4)

修正損益計算書

<省略>

別紙(5)

脱税額計算書

<省略>

別紙(6)

脱税額計算書

<省略>

別紙(7)

昭和42年分 大野惟孝の仲介手数料の計算表

<省略>

別紙(8)

大野惟孝 昭和42年分修正所得計算表

<省略>

別紙(9)

脱税額計算書

<省略>

昭和五七年(う)第三五号

控訴趣意書

法人税法違反

被告人 岩切商事株式会社

同 岩切博盛

目次

第一章 訴訟手続きの法令違反・・・・・・一四六三

第二章 事実中受取利息除外関係・・・・・・一四六五

第一節 中村勇夫からの受取利息除外関係・・・・・・一四六五

第二節 簿外仮名預金による受取利息の除外関係・・・・・・一五一五

第三章 事実中簿外接待交際費の支出及び雑収入の除外関係・・・・・・一五一六

第四章 事実中架空仕入関係・・・・・・一五一六

第一節 山田商事関係・・・・・・一五一六

第二節 田中直人ほか一一名からの仕入総論・・・・・・一五二六

第三節 田中直人関係・・・・・・一五二九

第四節 富岡精次関係・・・・・・一五三二

第五節 藤田吾一及び岡村覚二関係・・・・・・一五三三

第六節 金森七郎関係・・・・・・一五三八

第七節 現金仕入分・・・・・・一五四〇

第八節 架空仕入結論・・・・・・一五四八

福岡高等裁判所宮崎支部

昭和五七年(う)第三五号

控訴趣意書

法人税法違反 岩切商事株式会社

(右代表者) 岩切博盛

同 岩切博盛

右の者らに対する頭書被告事件につき、昭和五六年一二月一日宮崎地方裁判所が言渡した判決に対し、被告人らより申し立てた控訴の理由は左記のとおりである。

昭和五七年六月二一日

右弁護人 佐々木曼

同 塚田善治

福岡高等裁判所宮崎支部 御中

原判決は、罪となるべき事実として

「被告人岩切商事株式会社(以下被告人会社という。)は、宮崎市高千穂通一丁目七番二四号に本店を置き建築資材および鉄鋼一次、二次製品の販売等の事業を営むもの、被告人岩切は、被告人会社の設立以来の代表取締役で被告人会社の業務全般を統括しているものであるが、被告人岩切は、被告人会社の業務に関し、その法人税の一部を免れようと企て、

一、被告人会社の昭和四〇年一〇月一日から昭和四一年九月三〇日までの事業年度の法人税について、真実の所得金額が別表(一)の被告人会社の修正損益計算書記載のとおり二七〇五万〇九〇四円で、これに対する法人税額が九五四万五三二四円であるのに、公表経理上架空仕入を計上するほか、受取利息を除外する等の不正の行為により右所得の一部を秘匿したうえ、昭和四一年一一月三〇日、同市広島一丁目一〇番一〇号所在の宮崎税務署において、同税務署長に対し所得金額が五二六万九、九八八円で、これに対する法人税額が一七〇万二、一六四円である旨の虚偽の所得額および税額を記載した法人税確定申告書を提出し、もって、不正の行為により右事業年度の法人税七八四万一一六〇円を免れ、

二、被告人会社の昭和四一年一〇月一日から昭和四二年九月三〇日までの事業年度の法人税について、真実の所得金額が別紙(二)の被告人会社の修正損益計算書記載のとおり五、二五四万五、三一一円で、これに対する法人税額が一、八一八万七五〇円であるのに、公表経理上架空仕入を計上するほか、受取利息を除外する等の不正の行為により所得の一部を秘匿したうえ、昭和四二年一一月三〇日、前記宮崎税務署において、同税務署長に対し、所得金額が九三七万二、三九九円で、これに対する法人税額が三〇七万〇、二〇〇円である旨の虚偽の所得額及び税額を記載した法人税確定申告書を提出し、もって、不正の行為により右事業年度の法人税一、五一一万〇、五五〇円を免れ

たものである(別表(一)、(二)省略)」

との事実を認定し、被告人会社を罰金七〇〇万円に、被告人岩切博盛を懲役一〇月に各々処する。被告人岩切博盛に対し、この裁判確定の日から一年間右懲役刑の執行を猶予する旨言渡した。

しかしながら原判決には、以下のとおり、判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続きに関する法令違反及び事実誤認があり到底破棄を免れないものと思料する。

第一章 訴訟手続の法令違反

原審には判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続に関する法令の違反がある。すなわち、検察官がなした昭和四六年三月二三日付の訴因変更請求(記録三八七丁)は、刑事訴訟法の訴因変更制度の精神からこれを許してはならないものであるにかかわらず原審裁判所は同年四月二日付をもってこれを許可し、(記録三九〇丁)更に昭和四七年一〇月一九日付をもって右決定を維持する旨の決定をなし(記録四三八丁)、原判決においても検察官の訴因変更請求を正当として是認した違法である。検察官が被告人会社及び被告人岩切に対する本件告発を受けてから右訴因変更請求をなすに至るまでの経過は原審弁護人らの昭和四七年一〇月二一日付特別抗告申立書(記録四四〇丁から四四九丁まで)に記載したとおりであるからここにこれを援用することとするも、これを要するに検察官は、被告人会社及び被告人岩切に対する昭和四〇年一〇月一日より昭和四一年九月三〇日までの事業年度における違反は、昭和四四年一一月三〇日をもって公訴の時効が完成することとなっていたが、同事業年度に関する告発事実の全部すなわち「架空仕入の計上」と「受取利息の除外」の双方についてまで捜査が完了していなかったので、判例上法人税逋脱事犯においては所得の帰属主体、営業年度が同一であれば所得の発生原因が異っていても公訴事実に同一性ありとされていることを幸いとし、ひとまず公訴の維持に確信を得たという「架空仕入の計上」を時効完成直前の同月二六日起訴して時効の進行を停止しておき(記録四二四丁から四二八丁までの検察官の昭和四七年五月一六日付意見書二項をみればその意図のあったことが明らかである。)、それより一年四か月に亘って捜査を続行し昭和四六年三月二三日に至り突如として、受取利息を除外していたものありとなし逋脱所得金額一、二八二万一、四八五円、税額四六一万五、七四〇円の追加を請求するに至ったものである。ここに「突如として」といったのは、原審弁護人らの昭和四七年三月七日付意見書(記録四一二丁から四二一丁まで)第六項に記載しある如く昭和四四年一一月二六日の起訴時頃検察官より被告人岩切及び原審弁護人らに対し本件逋脱犯の検察処理はすべて終了した旨の言明があり以後一年四か月間に亘り事前準備手続の外六回に亘って公判にのぞみ起訴状朗読、冒頭陳述、起訴状に対する釈明、証拠請求、証人尋問等の訴訟行為を遂行し、又その間の昭和四五年一〇月二九日から同年一一月一九日までの間再度被告人岩切の身柄を拘束して捜査を遂げたうえ同年一一月二八日、昭和四一年一〇月一日より同四二年九月三〇日までの事業年度分の違反として追起訴をなし、昭和四六年一月一九日追起訴事実に関する事前準備手続にのぞみ、本件訴因変更の意図を秘匿しつづけたうえ請求に及んだことをいうのであるが、蓋し、右の如き意図と経過のもとになされた訴因の変更請求は絶対に許されるべきものではないと思料する。

その理由の詳細は原審弁護人らの前記昭和四七年三月七日付意見書及び同年五月二九日付意見書(記録四二九丁から四三三丁まで)並びに前記特別抗告申立書に記載してあるとおりであるが、なお一言すれば検察官の訴因変更請求が許されるのは、検察官において十分に捜査をつくし確信をもって起訴したにかかわらず公判審理の過程において、公訴事実に関する新しい事実が発見され、いわゆる実体形成に変動を来した場合何らの手続きを経ることなく検察官が起訴状において主張する事実と同一ではあるが法律的構成が異ることが認定されたのでは被告人に対し不意打ちを加えることとなるので、このようなことがないよう新しい法律的構成に対し防禦権を行使させる必要があると認められる場合に限るものであると信ずる。刑事訴訟法第三一二条は二項において、「裁判所は、審理の経過に鑑み適当と認めるときは、訴訟又は罰条を追加又は変更すべきことを命ずることができる。」と規定し、検察官に対し命令することができる場合を「審理の経過に鑑み適当と認めるとき」と制限するのは正に右の場合のことをいったものであり、そのことは同条一項の検察官が裁判所に対し訴因又は罰条の追加、変更を請求し得る場合も同様であって、一項の場合、二項に定める制限規定が設けられていないからといって決して無制限に許可すべきことを定めたものではないと解する。

しかるに原審裁判所は、検察官の訴因変更請求が審理の経過とは全く関係なく専ら捜査のため利用されたものであることを熟知しながらあえてこれを許可し、その決定を維持し、更に判決において「検察官の訴因変更は同一公訴事実内での訴因変更であるから訴因変更制度の趣旨に反するものではないこと、訴因変更請求が本起訴後一年四月を経て漸くなされたことは検察官の怠慢であるが、その手続きの遅延によって弁護人らの防禦権の行使にさしたる影響を及ぼさなかったことにより、いまだ公訴権の濫用とはいえない」等の理由をもってその適法性を確認していることは、刑事訴訟法第三一二条の立法趣旨を曲解し、検察官において独占する公訴権の濫用、訴訟当事者としての誠実義務違反を容認するものであり、ひいては法定の手続きを保証した憲法第三一条に違反することを内容とする訴訟手続きの法令違反を犯したものであって、この違反により被告人会社の昭和四〇年一〇月一日から昭和四一年九月三〇日までの事業年度の法人税の不正免脱額として当初の起訴に係る三二七万五六〇円を超え七八四万一、一六〇円を認定するに至ったものであることは起訴状及び判決書の各記載により明白である。

以上の次第であって、原判決はこの一点からしても破棄を免れないものと信ずる。

第二章 事実中受取利息除外関係

第一節 中村勇夫からの受取利息除外関係

原判決は、被告人会社及び山下哲夫が赤江農業協同組合(以下赤江農協という。)に対し貯金したことをもって単なる形式となし真実は判決書別表(四)記載のとおり赤江農協管理課長谷口秀精(以下谷口という。)を介し中村勇夫(以下中村ともいう。)なる者に昭和四〇年一〇月一五日から昭和四三年三月二五日までの間一八回にわたり合計二億七〇〇〇万円を貸付け、一六回にわたり同人から同金額の返済を受け、その間中村が大野惟隆(以下大野という。)に対し二八回にわたり合計九、三八五万円を右貸付金に対する利息として支払い、被告人会社において、その内五、四七五万円を受取りながらそれぞれの事業年度の所得からこれを除外したものと認定する。しかしながら、右は証拠の価値判断を誤り被告人岩切や大野の供述を信用性のないものとしてしりぞけ、谷口の証言及び中村の供述調書の記載内容をもって信用に値するものとなし、専らこれに頼った結果事実を誤認するに至ったものであることは明らかである。以下原判決の認定する元金の貸付、返済の流れ及び利息の支払関係と右認定が事実誤認である理由を原判決の順序に従い陳述する。

一、原判決認定の「被告人会社から中村に対する融資元金の流れ」について

1.昭和四〇年一〇月一五日の一、五〇〇万円の貸付(被告人岩切の主張は被告人会社及び被告人岩切の赤江農協に対する三か月間の定期貯金である。以下括弧内は同被告人の主張である。)

原判決は、同日赤江農協に対し被告人会社がなした一、三五〇万円及び被告人岩切が岩切正富名義でなした一五〇万円の定期貯金は中村が被告人会社から赤江農協に導入した預金であると認定しその証拠として証人谷口及び中村の、右一、五〇〇万円の内一、三五〇万円の小切手を谷口が中村に交付し中村がこれに裏書きのうえ宮崎銀行橘通支店で即日換金し、その内一、〇〇〇万円を中村が川崎重逸名義で赤江農協から借受け、内八〇〇万円を旭相互銀行宮崎支店に中村紘和名義で通知預金した旨の供述及び供述記載を挙げ右小切手の存在、通知預金元帳の記載をもってその裏付けとする。

しかしながら、被告人会社は中村から赤江農協に貯金すべきことを依頼された事実を認めるに足る証拠はない。被告人会社や被告人岩切が同農協に貯金したのはかねてより同農協から協力貯金をして欲しい旨依頼されており、被告人会社としても園芸ハウス用鋼材を同農協の斡旋によりその傘下の園芸農家に買って貰いたい下心があったため、この時初めて同農協に貯金をしたものであることは第五一回公判における被告人岩切の供述(記録三、四一六丁、三、四一七丁)、第四三回公判における証人谷口の供述(記録二、七二六丁、二、七二七丁)により明白である。原判決は谷口が右一三五〇万円の小切手を中村に交付し同人自身に換金させたことをもって預金者たる被告人会社においてこれに同意していたことの証拠の一とするが、右は当時赤江農協は公的な金融機関でありながらその信用業務は極度に紊乱し恰も中村一個人のための金融機関であるかの如く行動していたためであって、(そのことは以下の各項目に見られる赤江農協と中村の関係により明らかであるが、なお控訴審において立証する。)被告人会社がこれを容認していたためではない。

2.昭和四一年一月一四日の一五〇〇万円の返済(赤江農協から被告人会社に対する一、三五〇万円及び被告人岩切に対する一五〇万円の払戻しとして認める。)

原判決は、右の返済は前記1の一、五〇〇万円の満期日の到来による赤江農協の支払いであるが、中村が川崎重逸名義で赤江農協から借受けていた一、〇〇〇万円の元利金についてはその後三回に分けて赤江農協に返済しているところ、最後の四八七万九、六〇〇円は、次項の被告人会社から借受けたという一、〇〇〇万円中より返済したものと認定する。しかしながら、次項において述べる如く被告人会社は中村はもちろん、赤江農協に対しそのように処分することを容認して貯金をしたことを認めるに足る証拠は存しない。

3.昭和四一年三月三一日の一、〇〇〇万円の貸付(赤江農協に対する被告人会社の九〇〇万円、山下哲夫の一〇〇万円の各貯金として認める。)

原判決は、被告人会社が同日中村に対し一、〇〇〇万円を貸付けたものと認定し、その証拠として証人谷口の、同日被告人岩切から被告人会社振出の九〇〇万円の小切手及び現金一〇〇万円を受取り、内九〇〇万円を被告人会社名義の赤江農協の普通預金とし、他の一〇〇万円を山下哲夫名義の赤江農協の普通預金としたが、被告人会社名義の九〇〇万円中より中村の赤江農協に対する返済分である前記2の四八七万九、六〇〇円が支払われた外、一〇〇万円が中村の赤江農協の仮名預金である中村紘和名義の貯金元帳に入金されている旨等の供述並びに中村の右同旨及び山下哲夫分を含めた内三〇〇万円を旭相互銀行宮崎支店の中村紘和名義の通知預金に預け入れた外土地代として一七八万八、五〇〇円を支払った旨の供述記載、これら供述を裏付ける右各貯金、通知預金元帳等の記載を挙げ、右一、〇〇〇万円が中村のために使われた事実を認めることができるので証人谷口の供述、中村の供述記載は信用性を十分認めることができるという。

なるほど被告人会社及び山下哲夫のなした貯金が右の証拠により中村のために使われたものであることを認め得るとしてもそれだからといってこの一、〇〇〇万円が被告人会社から中村への貸付と断定し得るものではない。原判決は公的金融機関である赤江農協が預金者の同意なしにそのまま特定の第三者の融資に向けることは考えられないこととなし、右の事実をもって被告人会社が同意したことの有力な根拠とするが右は赤江農協における綱紀の紊乱に因るもので被告人会社の同意に基くものではないこと前記1に記載したとおりである。

なお原判決は、本件一、〇〇〇万円は全額被告人会社の金員と認定しているが内一〇〇万円は実在の山下哲夫の金員であり(被告人の第五一回公判における供述記録三、四二一丁、三、四二二丁)、赤江農協の口座も存する(証明書番号8、検察官証拠請求願一連番号三六五。以下8、三六五の方法により表示する。)のであるから原判決の明白な誤認である。(この点について、なお控訴審において立証する。)

4.昭和四一年四月一九日の一、〇〇〇万円の返済及び同月二〇日の一、〇〇〇万円の貸付(四月一九日分につき赤江農協から被告人会社への九〇〇万円、山下哲夫への一〇〇万円の各払戻しを認め、同月二〇日分につき被告人会社の赤江農協に対する七〇〇万円の貯金を認め、その余は否認)

原判決は、被告人会社が、同月一九日中村から前記3の一、〇〇〇万円の返済を受け翌二〇日一、〇〇〇万円を同人に貸付けたものと認定し、その証拠として証人谷口の、四月一九日県信連の赤江農協名義の預金から現金一、〇〇〇万円を払い戻しそれを被告人会社に返済して中村に代り一時立替払いし、翌二〇日被告人会社振出の七〇〇万円の小切手及び現金三〇〇万円の合計一、〇〇〇万円を被告人岩切から受け取って県信連赤江農協名義の預金に預入れた旨の供述及び中村の、四月一九日の一、〇〇〇万円の返済と同月二〇日の一、〇〇〇万円の借入れは切替えであること、谷口に返済の資金作りをお願いし四月二〇日被告人会社から小切手七〇〇万円と現金三〇〇万円を借入れこれを立替分の返済に充てた旨の供述記載を挙げ県信連の赤江農協の当座預金元帳の記載、被告人会社振出の七〇〇万円の小切手の存在をもってその裏付けとする。

しかしながら、四月一九日被告人会社と山下哲夫が、前記三月三一日になした貯金の払戻しを受けたことは事実であるが、これは赤江農協より受けたものであって、中村からの返済ではない。(昭和四五年押第四一号の符号六四の貯金通帳。以下押第四一号を省略し符号のみで表示する。)更に被告人会社が翌二〇日一、〇〇〇万円を中村や赤江農協に貸付け又は貯金をしたという事実を認めるに足る証拠はない。被告人会社が四月二〇日になしたのは赤江農協に対する七〇〇万円の貯金だけである。原判決は符号六四の貯金通帳を全く無視し専ら証人谷口の供述や中村の供述記載、県信連の赤江農協の当座預金元帳の記載からこれを一、〇〇〇万円と認定するのであるが、それでは被告人会社として差額の三〇〇万円の回収につき如何なる保証を与えられていたのであろうか。以下の貯金に頻々として出てくる疑問であるが原判決は何らこれに答えるところがないのである。これを要するに本件一、〇〇〇万円中七〇〇万円は被告人会社より赤江農協に対する貯金であることは明らかであるが三〇〇万円については原判決掲記の証拠にもかかわらずなおこれを被告人会社から貸付けられたものと断ずるに足らないものというべきである。

次に原判決は四月一九日、同月二〇日の返済、貸付関係を切替えというが、これも間違っている。原判決は後記二の2において、中村が三月三一日被告人会社から一、〇〇〇万円を借入れるに際し月八分の割合による一か月分(昭和四一年三月三一日から四月三〇日まで)の利息八〇万円を支払ったと認定しているのであるが、もしそうだとすれば、返済期限までなお一〇日もあるのに何故この段階で切替えをしなければならなかったのかについても答えるところがないのである。原判決の認定に、このように重要な点に関する疑問が残るのは結局は証人谷口の供述、中村の供述記載に捉われるの余り合理的な判断を怠り事実を誤認しているからに外ならない。

5.昭和四一年四月二一日の二、〇〇〇万円の貸付(被告人会社の赤江農協に対する五四〇万円の貯金のみ認め、その余は否認)

原判決は、被告人会社が同日中村に対し二、〇〇〇万円を貸付けたものと認定し、その証拠として証人谷口の、同日被告人岩切から被告人会社振出の小切手五四〇万円と現金一、四六〇万円を受領し、右小切手五四〇万円を現金化するため赤江農協名義の旭相互銀行宮崎支店の通知預金七〇〇万円を解約してまず三〇〇万円を赤江農協の中村紘和名義の預金に入金し残金の一、七〇〇万円を現金で中村に手渡した旨の供述及び中村の、谷口より現金一、七〇〇万円を受取りうち一、〇〇〇万円を宮崎建設開発株式会社へ土地代として支払い、他の七〇〇万円を中川満子などに対する土地代の支払い資金に充てた旨の供述記載を挙げ五四〇万円の小切手の存在、旭相互銀行宮崎支店の赤江農協の通知預金元帳、赤江農協の中村紘和名義の貯金元帳、宮崎建設開発株式会社の証明書の各記載等をもってその裏付けとする。

しかしながら被告人会社は符号六四の貯金通帳により明らかなように同日赤江農協に対し五四〇万円(小切手)を貯金しただけである。かりに二、〇〇〇万円を谷口に交付したものとすれば残額一、四六〇万円の返済又は払戻しにつき被告人会社として如何なる保証を与えられていたのであろうか。又被告人会社振出の小切手を現金化するため赤江農協の旭相互銀行宮崎支店に対する通知預金七〇〇万円を解約したというが、何が故にそのようなことをする必要があったのであろうか。原判決によればこの小切手は被告人会社より中村に貸付けられたものであって赤江農協は形式的に被告会社と中村との間に介在したにすぎなかった筈である。

すなわち被告人会社から受取った金員を右から左に中村に交付すればよかった筈である。しかるに右のように処理しているという事実は原判決の認定と異なり赤江農協が被告人会社より同農協に対する貯金として受入れしかる後中村に貸付けていたものであることを示す何よりの証拠である。といわなければならない。これを要するに原判決のいう二、〇〇〇万円中五四〇万円は被告人会社より赤江農協に対する貯金であることは明らかであるが差額の一、四六〇万円については原判決の掲げる証拠、裏付けにもかかわらずなおこれを被告人会社から中村に貸付けられたものと断ずるに足らないというべきである。

6.昭和四一年四月三〇日の一、〇〇〇万円の返済と同年五月一〇日の一、〇〇〇万円の貸付(四月三〇日分につき被告人会社の赤江農協からの七〇〇万円の払戻しのみ認め、その余は否認、五月一〇日分につき被告人会社の赤江農協に対する二〇〇万円の貯金のみ認め、その余は否認)

原判決は、被告人会社が同年四月三〇日中村から一、〇〇〇万円の返済を受け、同年五月一〇日中村に対し一、〇〇〇万円を貸付けたものと認定し、その証拠として証人谷口の同年四月三〇日県信連の赤江農協名義の普通預金から三〇〇万円及び七〇〇万円の合計一、〇〇〇万円を引き出して中村の借入金の返済として被告人会社に支払い、同年五月一〇日被告人岩切から被告人会社振出の小切手二〇〇万円及び現金八〇〇万円の合計一、〇〇〇万円を受取り県信連の赤江農協の預金口座にこの一、〇〇〇万円を預金した旨の供述、中村の、右一、〇〇〇万円の返済と借入れは切替えであってその返済の立替え資金を谷口に依頼して同人に処理して貰った旨の供述記載を挙げ、県信連赤江農協名義の預金元帳の記載をもってその裏付けとする。

しかしながら、まず四月三〇日の返済分については、この日赤江農協から被告人会社に支払われたのは七〇〇万円だけであり、しかもこの七〇〇万円は宮崎銀行の被告人会社の預金口座に振込まれたものである。(四五五普通預金元帳写)かりにもし谷口が一、〇〇〇万円を返済したものとすればそのうち七〇〇万円を被告人会社の取引銀行の口座に送金しながら、三〇〇万円は別途返還するという手数のかかる方法をとったことになるわけであって甚だ不合理である。

次に五月一〇日の分については被告人会社は同日赤江農協に対し小切手をもって二〇〇万円を貯金しただけである。かりに一、〇〇〇万円を谷口に交付したものとすれば残額八〇〇万円の回収につき被告人会社として何らかの保証を与えられていなければならないのにこれがなく前同様原判決はこれに答えるとこが全くないのである。

これを要するに被告人会社は四月三〇日赤江農協より七〇〇万円の払戻しを受け五月一〇日同農協に対し二〇〇万円貯金したことは明らかであるが、その余の金額については原判決の挙げる証拠、裏付けにもかかわらず、これを被告人会社に対する返済、被告人会社からの貸付と断ずるに足らないものというべきである。

7.昭和四一年五月三〇日の二〇〇〇万円の返済(被告人会社の赤江農協からの七四〇万円の払戻しのみ認めその余は否認)

原判決は、被告人会社が同日中村から二、〇〇〇万円の返済を受けたものと認定し、その証拠として証人谷口及び中村の、中村が自己資金に利用するため新日本土木から赤江農協へ二、四〇〇万円を預金させ、これを定期に振替え、新日本土木名義で中村が二四〇〇万円を借受けその内から二、〇〇〇万円を被告人会社に返済した旨の供述及び供述記載を挙げ、宮崎銀行の新日本土木株式会社名義の普通預金元帳等の記載をもってその裏付けとする。

しかしながら、被告人会社が同日赤江農協から払戻しを受けたのは七四〇万円である。符号六四の通帳に明らかなように同日の貯金残高が七四〇万円しかなかったのであるからそれを超える金額の払戻しを受け得る筈はない。

8.昭和四一年六月二五日、二、七五〇万円と同月二九日二五〇万円の貸付(六月二五日分につき被告人会社の赤江農協に対する一、二五〇万円の貯金、同月二九日分につき被告人会社の赤江農協に対する二五〇万円の貯金を認めその余は否認。)

原判決は、被告人会社が昭和四一年六月二五日二、七五〇万円、同月二九日二五〇万円を中村に貸付けたものと認定し、その証拠として証人谷口の、新日本土木名義で赤江農協から借りていた二、四〇〇万円の返済資金として被告人岩切から、同月二五日小切手で一、二五〇万円と現金で一、五〇〇万円を受取り、同日右二、四〇〇万円及びその利息一五万六、〇〇〇円の返済資金に充て更に同月二九日被告人岩切から小切手で二五〇万円を受取りこれを宮崎銀行の赤江農協名義の預金に預け入れた旨の供述、中村の、金額一、二五〇万円および二五〇万円の二枚の小切手と現金一、五〇〇万円の合計三、〇〇〇万円を六月二五日被告人会社から借入れた旨の供述(但し二五〇万円の小切手の受領日は同月二九日の記憶違いと認定)を挙げ、被告人会社振出の小切手、谷口作成のメモの存在、宮崎銀行における赤江農業協同組合の普通預金元帳の記載等をもってその裏付けとする。

しかしながら符号六四の貯金通帳に明らかなように被告人会社が六月二五日赤江農協になした貯金は一、二五〇万円に過ぎない。原判決によれば二、七五〇万円は中村が前に新日本土木から借りていた二、四〇〇万円を返済するために借りたということであり、なるほど新日本土木の普通預金元帳(符号九〇)によれば二四〇〇万円は六月二五日に返済されたこととなっているが昭和四一年六月二五日は土曜日であったから、同日の午後受領した二七五〇万円(谷口の供述)から同日返済処理することは不可能であり、結局新日本土木に返済された二、四〇〇万円は外から借入れたものであって六月二五日には最早二、四〇〇万円の資金の必要はなかったものとの濃い疑いが生ずるのである。

又原判決が裏付けとする川野周平作成の証明書によれば三、〇〇〇万円全額が預金されているが中村の供述によればこの時谷口から現金で一〇〇万円受けとったということであり、(中村の検察官に対する昭和四四・一一・一二付供述調書添付上申書記録一、一六〇丁)しかりとすれば三、〇〇〇万円の預金は不可能で、谷口の供述、中村の供述記載の間に矛盾があり被告人会社以外からの入金の存在を強く疑わしめるのであって、これらを考え合わせれば原判決の挙げる各証拠、裏付けにもかかわらず六月二五日二、七五〇万円の貸付けがあったと断ずるに足らないものというべきである。

9.昭和四一年七月二九日の一、〇〇〇万円の貸付(被告人会社の赤江農協に対する六七〇万円の貯金、但し七月三〇日のみ認めその余は否認)

原判決は、被告人会社が、同日中村に対し一、〇〇〇万円を貸付けたものと認定し、その証拠として証人谷口の、同日被告人岩切から小切手六七〇万円と現金三三〇万円を受け取り、中村にそのまま渡した旨の供述及び中村の、同日被告人会社から小切手六七〇万円と現金三三〇万円を借入れ翌七月三〇日小切手六七〇万円と現金三〇万円を宮崎信用金庫の中村紘和名義の預金へ預け入れ、残元金三〇〇万円は谷口から立替えて貰っていた分や大野に対する利息支払分の一部とした旨の供述記載を挙げ、被告人会社振出六七〇万円の小切手の存在、宮崎信用金庫の中村紘和名義の普通預金元帳の記載をもってその裏付けとする。

しかしながら、被告人会社が赤江農協に対してなした貯金は符号六四の通帳に明らかな如く六七〇万円であり、その日も七月三〇日である。仮に一、〇〇〇万円貯金したものとすればそのことを証明する通帳又は証書の記入がなされるべきであること前述したとおりであるがこれのないことはこの時の貯金が六七〇万円であったことの証拠である。原判決の挙げる証拠裏付けにもかかわらずなお被告人会社が七月二九日一、〇〇〇万円を中村に貸付けたものと断ずるに足らないものというべきである。

10.昭和四一年九月二九日の二、〇〇〇万円の返済(被告人会社の赤江農協からの一七〇万円の払戻しのみ認めその余は否認)

原判決は、被告人会社が同日中村から二、〇〇〇万円の返済を受けたものと認定し、その証拠として証人谷口、中村の宮崎松竹株式会社へ一緒に行って二、〇〇〇万円の融資方を依頼し同会社から二、〇〇〇万円の保証小切手を貰いこれを現金化して被告人会社に返済した旨の供述及び供述記載を挙げ、福岡相互銀行宮崎支店長振出の小切手の存在をもってその裏付けとする。

しかしながら、被告人会社が同日赤江農協から払戻しを受けた金額は一七〇万円である(符号六四の貯金通帳)。次に右福岡相互銀行宮崎支店長振出の小切手は横線小切手なるところ、第五二回公判における矢野温三の証言によると、この小切手金が宮崎銀行において支払われたのは一〇月一日以降であることは明白である(記録三五六五丁)からこの小切手金をもって九月二九日二、〇〇〇万円を返済することは物理的に不可能である。又被告人会社は九月三〇日赤江農協から二、〇〇〇万円の払戻しを受けているのであるが(原判決のいう次項の二、〇〇〇万円)、原判決認定のとおりとすれば中村は両日に亘って二、〇〇〇万円ずつ返済したことになるわけであるが、谷口は第四三回公判において、「続けて二、〇〇〇万円づつ返した記憶はうすく宮崎松竹開発から借りてきた小切手(前記福岡相互銀行宮崎支店長振出の小切手のこと)が九月三〇日(矢野の証言により実際は一〇月一日以降)に返した一、五〇〇万円の財源になっていると思う」と証言し(記録二七二六丁)、中村も当初九月三〇に返したのは一、五〇〇万円と供述していたが(記録一、一六〇丁)昭和四五年八月二〇日付上申書で二、〇〇〇万円と訂正する(記録一、六九五丁)というように返済した日と金額において両者の供述が一貫性を欠いているのである。これは捜査官において九月二九日振出額面二、〇〇〇万円の前記小切手を見て同日換金されそのままの金額が返済されたものと思い込み谷口や中村をして九月二九日二、〇〇〇万円返済したことに両者の供述を符合させたことからきたものである疑い甚だ濃く、何れも信用性を欠く供述といわなければならない。そうだとすれば被告人会社が九月二九日中村から二、〇〇〇万円の返済を受けたものとの原判決の認定は全く根拠を失い、却って原判決が否認する一〇月五日一、五〇〇万円返済の事実が明白となるのであって、原判決はこの二点において事実を誤認したものというべきである。

11.昭和四一年九月三〇日の二、〇〇〇万円の返済と同日の二、〇〇〇万円の貸付(被告人会社の赤江農協からの二、〇〇〇万円の払戻しと同農協に対する同金額の貯金として認める)原判決は、被告人会社が同日中村から二、〇〇〇万円の返済を受け、二、〇〇〇万円を貸付けたものと認定し、その証拠として証人谷口の、宮崎銀行の赤江農協名義の普通預金から二、〇〇〇万円を払い出してこれを被告人会社に返済し、その後被告人会社振出額面各一、〇〇〇万円の小切手二通(合計二、〇〇〇万円)を被告人会社から借入れそれを県信連の赤江農協名義の普通預金口座に預け入れた旨の供述、中村の、本件の二、〇〇〇万円の返済と借入れは切替えであり、その資金調達及びその処理については谷口に一任していた旨の供述記載を挙げ、宮崎銀行の赤江農協名義の普通預金元帳及び県信連の当座貯金(普通預金ではない)元帳の赤江農協の口座の各記載被告人会社振出額面一、〇〇〇万円の小切手二通の存在をもってその裏付けとする。

被告人会社が同日二、〇〇〇万円の払戻しを受け、同日二、〇〇〇万円を貯金したことは符号六四の貯金通帳記載のとおりであるが、これは赤江農協からの払戻し、同農協に対する貯金であって中村からの返済、中村に対する貸付けではない。そのことは原判決の述べる払戻資金の出所、一、〇〇〇万円の小切手二通が何れも赤江農協より県信連に預金されている事実(18、三六三)により明白である。

12.昭和四一年一〇月二四日の一、五〇〇万円の貸付(全額否認)

原判決は、同日被告人会社が中村に対し一五〇〇万円を貸付けたものと認定し、その証拠として証人谷口の、昭和四一年一〇月二四日被告人岩切から現金で一、五〇〇万円を受け取り、赤江農協の中村紘和名義の預金口座へ一、〇三三万円余を預金し、その外中村が赤江農協から土地買収資金として横山己則外数名の名義で借りていた貸付金の元利金の返済として合計三〇五万六、八八四円を充てその余は中村がどのように使ったか知らない旨の供述及び中村の、谷口を通じて被告人会社から一、五〇〇万円を借入れ、大野への立替金の返済に一二〇万円充当、農協へ一、〇三三万円余を預入れ、土地代の貸付返済に三三六万円余を充当した旨の供述記載を挙げ、赤江農協の中村紘和名義の貯金元帳の記載、証書貸付金伝票綴中横山己則ほか六名分の記載、県信連赤江農協名義の当座預金元帳の記載等をもってその裏付けとする。

しかしながら被告人会社は、中村はもちろん、赤江農協に対しても同日貸付け、貯金をした事実はない。仮りにもしこれをなしたものとすれば、そのことを証するに足る証書を徴するか又は通帳への記入がなされるべきであるが何らこれがなされていないのである。又赤江農協に対する中村紘和名義の預金、横山己則外数名名義の返済金の出所につき谷口、中村の供述以外の証拠なく同人らの供述は後述の如く信用性のないものである外、中村より利息を受領したことについては大野において否認するところであり、結局原判決の挙げる証拠、裏付けにもかかわらず、被告人会社が同日中村に対し一、五〇〇万円を貸付けたものと断ずるに足らないものというべきである。

13.昭和四一年一一月二二日の一、五〇〇万円の返済(全額否認)

原判決は、同日被告人会社が中村から一、五〇〇万円の返済を受けたものと認定し、その証拠として証人谷口及び中村の、宮崎信用金庫の保証小切手七五〇万円と八〇〇万円の合計一、五五〇万円を現金にかえその内の一五〇〇万円を被告人会社に返済した旨の供述及び供述記載を挙げ、宮崎信用金庫の中村紘和名義の普通預金元帳の記載、七五〇万円、八〇〇万円の小切手各一通の存在をもってその裏付けとなす。

しかしながら右小切手によれば、宮崎銀行において七五〇万円の小切手金が取立てられたのは一一月二二日以降、八〇〇万円の小切手金が取立てられたのは同月二五日以降でありその中村への支払日、金額は宮崎銀行の中村の預金元帳の記載以外明確になし得ないのであるが証拠として顕出されていないのである。(前記10についても同じ。)何れにしてもこの二通の小切手を現金化したうちから一一月二二日に一、五〇〇万円を支払うことは不可能である。更に被告人会社に支払うのであれば何故に提出日を異にする二通の小切手としたのであるかについても首肯するに足る証拠なく、結局原判決の挙げる証拠、裏付けにもかかわらず一一月二二日被告人会社が中村から一、五〇〇万円の返済を受けたものと断ずることができないばかりか右二通の小切手の存在は却って二か所以上の支払先に支払われたことを証明するものというべきである。

14.昭和四一年一二月三〇日の一、〇〇〇万円の返済および同月三一日の三、〇〇〇万円の貸付(一二月三〇日分につき被告人会社の赤江農協からの五〇〇万円の払戻しのみ認めその余は否認一二月三一日分につき被告人会社の赤江農協に対する貯金として全額認める。)

原判決は被告人会社が同月三〇日中村から一、〇〇〇万円の返済を受け、同月三一日中村に対し三、〇〇〇万円を貸付けたものと認定し、その証拠として証人谷口の、同月三〇日か三一日に赤江農協が一、〇〇〇万円を被告人会社に支払い、同月三一日被告人岩切から被告人会社振出の小切手二、〇〇〇万円と一、〇〇〇万円の二通(18、三六三)を受取り、内一、〇〇〇万円を右の立替分に充当し、内一、五〇〇万円を赤江農協の中村紘和名義の口座に預金しその他は中村が赤江農協から和田重治外二名の名義で借りていた貸付元利金の返済として合計四六二万七、五六〇円の支払いに充てた旨の供述及び中村の、谷口に一、〇〇〇万円の資金作りをしてもらい、それで被告人会社からの借入金を返済し、その後被告人会社から三、〇〇〇万円を借入れた旨の供述記載を挙げ、県信連の赤江農協名義の当座預金元帳の記載、小切手二通の存在等をもってその裏付けとする。

被告人会社が同月三一日三、〇〇〇万円を赤江農協に貯金したことは符号六四の貯金通帳及び被告人会社振出の小切手二通(特に裏書、何れも赤江農協より県信連に預金されている。)の記載により明らかである。しかしながらこれは赤江農協に対する貯金であって、中村に対する貸付けではない。又同月三〇日払戻しを受けたのは五〇〇万円でありその相手は赤江農協であることも符号六四の貯金通帳により明らかである。被告人会社は同通帳に明らかなように同年九月三〇日赤江農協に対し二、〇〇〇万円の貯金をなし同年一〇月五日一、五〇〇万円の払戻しを受けたので一二月三〇日現在の残高は五〇〇万円しかなかったのであるから一、〇〇〇万円の払戻しを受け得る筈はないのである。又原判決が引用する県信連の赤江農協の当座預金元帳(運井敏一の証明書46、三六九)によれば同口座より一、〇〇〇万円が出金されたのは一二月三一日であり、一二月三〇日に出金された内まとまった金額としては四五〇万円しかないのである。

すなわち、赤江農協は一二月三〇日県信連における赤江農協の当座預金より四五〇万円を払戻しこれに手持ちの五〇万円を加えて五〇〇万円となしこれを被告人会社に払戻したものと見るのが最も合理的であり、原判決の挙げる証拠をもってしても被告人会社が一二月三〇日中村から一、〇〇〇万円の返済を受け、同月三一日同人に三、〇〇〇万円を貸付けたものとは到底断じ得ないのである。

15.昭和四二年二月二八日の五〇〇万円の借入(全額否認)

原判決は、被告人会社が同日中村に対し五〇〇万円を貸付けたものと認定し、その証拠として証人谷口の、昭和四二年二月二八日被告人会社から現金で五〇〇万円借入れ、これをそのまま渡したが中村は宮崎信用金庫に預金していたので同日付で四四八万円を同信用金庫の中村紘和名義の預金口座に入金されているのがその一部と思われる旨の供述及び中村の、同日谷口を通じて被告人会社から現金で五〇〇万円を借受け、同日宮崎信用金庫にその内の一部四四八万円を預け入れた旨の供述記載を挙げ、宮崎信用金庫の中村紘和名義の普通預金元帳の記載をもってその裏付けとする。

しかしながら、被告人会社は同日中村に対してはもちろん赤江農協に対しても何らの貯金もしてないこと符号六四の貯金通帳により明らかである。谷口は中村の資金の動きを把握していたので右の四四八万円は被告人会社から借用した金員のうちであることに確信ある旨の証言をなすが前記宮崎信用金庫の中村紘和名義の口座の四四八万円入金の項の次に記載されている七六七万五、〇〇〇円の出所については覚えていないのであって(第三九回公判における証人谷口の供述記載二、四七九丁)、同証人の供述は信用し難い。又中村は前日の同月二七日森野章から二〇〇〇万円を借入れ一、二〇〇万円の余裕資金があったというのに(原判決六二丁)何故に同月二八日更に五〇〇万円を借入れる必要があったのかについて首肯するに足る理由がなく同人の供述も又信用し難い。すなわち本件についても原判決の挙げる証拠をもってしては同日中村が被告人会社から五〇〇万円を借入れたことを認めるに足る証拠はないものといわなければならない。

16.昭和四二年三月一日の一、五〇〇万円の返済(全額否認)

原判決は、同日中村が被告人会社に対し一、五〇〇万円返済したものと認定し、その証拠として証人谷口の、同日宮崎信用金庫の中村勇夫名義の預金から一、〇〇〇万円と五〇〇万円が出金されているのでこれにより確認した旨の供述及び中村の三月一日一、〇〇〇万円と五〇〇万円の小切手を振出してこれを谷口に渡し谷口がこれを換金して被告人会社に返済した旨の供述記載を挙げ、宮崎信用金庫の中村勇夫の当座預金元帳の記載をもってその裏付けとする。

しかしながら被告人会社は符号六四の貯金通帳に明らかな如く同日現在中村はもちろん赤江農協に対しても貸付、貯金は全くなかったのであるからこれらの者から返済を受ける理由はない。原判決書別表(四)によればこの一、五〇〇万円は前記8の合計三、〇〇〇万円中前記14の一、〇〇〇万円の返済分を控除した残額の二、〇〇〇万円に14の貸付分三、〇〇〇万円を加えた五、〇〇〇万円に対する内入分ということになっているが、前記8に相当する分については昭和四一年九月三〇日、前記14の貸付分については昭和四二年一月九日、同月一〇日の二回にわたり赤江農協から払戻済である。(この点については符号六四の貯金通帳の記載の外証人谷口の第四〇回公判における供述、記録二五二八丁により明白である。)

更に原判決の言う二通の小切手は中村の検察官に対する昭和四四年一一月一二日付供述調書添付の「赤江農協元管理課長谷口秀精を通じた岩切商事借入金明細書」と題する書面(記録一一六一丁)によれば鹿児島銀行宮崎支店(鹿銀/宮と表示している)で谷口が即日換金したこととなっているが(何故か証拠として法廷に提出されていない)そのようなことは不可能である。

これが換金されるのは鹿児島銀行宮崎支店より一旦交換に廻され同支店に戻ってからのことであって三月二日よりも早いということはあり得ないのである。又同一人に支払うのであればこれを一枚の小切手にして然るべきものと考えるのであるが何故に二通の小切手としたのであるか、何故に直ちに換金し得る宮崎信用金庫において換金せず鹿児島銀行宮崎支店で換金するという迅遠な方法をとったのであるか等同一人に即日支払うためにとった手段とは考えられない不自然さがあり、結局この小切手は他に支払われたのではないかとの疑いを拭払しきれないのであるが原判決は何らこれに答えるところがないのである。すなわち本件についても原判決の挙げる証拠をもってしては中村が三月一日被告人会社に対し一、五〇〇万円を返済したと断ずることはできないものと思料する。

17.昭和四二年三月三一日の四、〇〇〇万円の返済と同日の四、〇〇〇万円の貸付(被告人会社の三月三一日赤江農協に対する四、〇〇〇万円の貯金と四月三日同農協からの四、〇〇〇万円の払戻しを認めこれに反する順序を否認)

原判決は、同年三月三一日中村が被告人会社に対し四、〇〇〇万円を返済し、被告人会社より四、〇〇〇万円の貸付を受けたものと認定し、その証拠として証人谷口の、同日県信連の赤江農協名義の当座預金から四、〇〇〇万円を宮崎銀行の赤江農協名義の預金口座へ送金し、同日同預金から右四、〇〇〇万円が払出されて被告人会社へ支払われ、その後同日被告人岩切から被告人会社振出の四、〇〇〇万円の小切手を受取り県信連の赤江農協名義の口座に預金した旨の供述及び中村の、右四、〇〇〇万円の返済と借入れは、いわゆる切替えであってその方法は以前の切替えと同様谷口に資金調達とその処理を一任していた旨の供述記載を挙げ、県信連の赤江農協の当座預金元帳、宮崎銀行の赤江農協名義の普通預金口座の各記載、被告人会社振出の四、〇〇〇万円の小切手の存在をもってその裏付けとする。

しかしながら被告人会社は符号六四の貯金通帳の記載及び前記16において述べたところにより明らかなとおり昭和四二年一月一〇日以来中村に対してはもちろん赤江農協に対しても貸付又は貯金残高は全然なかったのであるから、同年三月三一日まず四、〇〇〇万円の返済を受けるなどいうことはあり得ないのであって同貯金通帳記載順序のとおり被告人会社において同日赤江農協に対し四、〇〇〇万円の貯金をなし、次いで同年四月三日にこれが払戻しを受けたというのが真実である。原審において、検察官が被告人会社振出の小切手及び原判決が挙げる前記県信連の赤江農協の当座預金元帳の記載によりこの小切手が赤江農協に入金された日が昭和四二年三月三一日であることが極めて明白であるにかかわらず、かたくなにこれを同年四月一日とする起訴当時からの主張を維持しつづけて変更しようとしなかったのは貯金なきにかかわらず払戻しをなしたこととなる矛盾に気付いていたからにほかならない。それにもかかわらず原判決が、まず被告人会社において四、〇〇〇万円の返済を受け次に四、〇〇〇万円を貸付けたものと認定したのは証人谷口や中村の供述、県信連や宮崎銀行の赤江農協の預金元帳における記帳の順序にとらわれるの余り真実を見失ったものと思料されるのである。

18.昭和四二年七月二五日の一、〇〇〇万円の貸付と同年一〇月二五日の一、〇〇〇万円の貸付(何れも否認)

原判決は、昭和四二年七月二五日と同年一〇月二五日被告人会社が中村に対し各一、〇〇〇万円を貸付けたものと認定し、その証拠として証人谷口の、中村が昭和四二年四月二五日第三者をして三名の名義で各一、〇〇〇万円合計三、〇〇〇万円を定期預金させこれをいわゆる導入預金として中村が赤江農協から三、〇〇〇万円を借受けていたが同年七月二五日と一〇月二五日に各一、〇〇〇万円を赤江農協に返済した。その資金は中村が調達して自分が受取りにいったが誰から借受けたか現在でははっきりしない旨の供述及び中村の、右各現金一、〇〇〇万円の返済はいずれも被告人会社から借受けた旨の供述記載を挙げ、第四六回公判における証人岡勢隆平の供述、右三、〇〇〇万円の定期預金証書の存在等をもってその裏付けとする。

しかしながら被告人会社は、右二回にわたり中村はもちろん赤江農協に対しても貸付又は貯金をした事実はない。原判決が認定の根拠とした証拠を検討しても証人谷口は第三六回公判において自分が直接借りたわけではなく中村が金策したものを自分が受領したものである旨答え(記録二二二二丁)、一方中村は検察官に対する昭和四四年一一月一二日付供述調書添付の「赤江農協元管理課長谷口秀精を通じた岩切商事借入金明細」と題する書面中村昭和四二年七月二五日と同年一〇月二五日の欄に「谷口さんを通じて現金で借入れて岡勢隆平からの導入預金の内金返済一、〇〇〇万円に当てた」旨記載しているに過ぎず(記録一一六一丁)すこぶる具体性を欠くのであって、これらの証拠だけでは到底この二、〇〇〇万円が被告人会社より中村に貸付けられたものと認定することができるものではない。

19.昭和四二年九月三〇日の一、五〇〇万円の返済と同日の一、五〇〇万円の貸付(被告人会社の赤江農協に対する九月三〇日の貯金と一〇月二日の払戻しとして全額認めこれに反する順序は否認)

原判決は、同日被告人会社が中村から一、五〇〇万円の返済を受け、一、五〇〇万円を貸付けたものと認定し、その証拠として証人谷口の、県信連の赤江農協名義の預金口座から九月三〇日に一、〇〇〇万円の宮崎銀行の赤江農協名義の預金に振込まれ同日一、五一〇万円が宮崎銀行の同預金口座から払出されてそのうち一、五〇〇万円が被告人会社に支払われ、その後同日被告人会社振出の小切手一、五〇〇万円を受取りこれを県信連の赤江農協名義の口座に預金した旨の供述及び中村の、本件一、五〇〇万円の返済と借入はいわゆる切替えであって、その方法は谷口に一任していた旨の供述記載を挙げ、県信連の赤江農協名義の預金口座及び宮崎銀行の赤江農協名義の預金口座の記載、被告人会社振出の小切手の存在等をもってその裏付けとする。

しかしながら被告人会社は符号六四の貯金通帳に明らかなとおり同年四月三日以来中村に対してはもちろん赤江農協に対しても貸付又は貯金残高は全然なかったのであるから、同年九月三〇日まず一、五〇〇万円の返済を受けるなどということはあり得ないのであって、同貯金通帳記載順序のとおり被告人会社において同日赤江農協に対し一、五〇〇万円の貯金をなし、次いで同年一〇月二日これが払戻しを受けたというのが真実である。

それにもかかわらず原判決がまず被告人会社において一、五〇〇万円の返済を受け次に一、五〇〇万円を貸付たものと認定したのは前記17の場合同様証人谷口の供述や中村の供述記載、県信連や宮崎銀行の赤江農協の預金元帳における記帳の順序にとらわれ真実を見失ったからにほかならない。

20.昭和四二年一〇月二四日の一、〇〇〇万円の貸付(全額否認)

原判決は、同日被告人会社が中村に対し一〇〇〇万円を貸付けたものと認定し、その証拠として証人谷口の、同日被告人会社から一〇〇〇万円を借受け同日宮崎信用金庫の中村勇夫名義の口座に預金された旨の供述及び中村の同旨の供述記載を挙げ、宮崎信用金庫の中村勇夫の普通預金元帳の記載をもってその裏付けとする。

しかしながら被告人会社は符号六四の貯金通帳に明らかなとおり同日中村はもちろん赤江農協に対しても何らの貸付けも貯金もなしていないのであるから原判決の挙げる右の証拠だけでは、この一〇〇〇万円が被告人会社の貸付けに係るものと認定するに足りるものではない。

21.昭和四二年一一月二〇日の二、五〇〇万円の返済(全額否認)

原判決は、同日被告人会社が中村から二、五〇〇万円の返済を受けたものと認定し、その証拠として証人谷口の、中村が第三者をして二、五〇〇万円を赤江農協に預金させ、その見返りに同日黒木正名義で二、五〇〇万円を赤江農協から借り受けそれを被告人会社への返済に充てた旨の供述及び中村の、右返済資金は谷口に金策してもらい谷口を通じて被告人会社に返済した旨の供述記載を挙げ、赤江農協の証書貸付金伝票綴、県信連の赤江農協名義の当座預金口座、宮崎銀行の赤江農協名義の普通預金口座の各記載をもってその裏付けとする。

しかしながら被告人会社は符号六四の貯金通帳に明らかなとおり同年一〇月二日赤江農協より一、五〇〇万円の払戻しを受けて以来貯金残高は全くなかったのであるからその間において払戻、返済を受けることなどあり得る筈はなく原判決の挙げる右の証拠だけではこの二、五〇〇万円が被告人会社に返済されたものと認定するに足りるものではない。

22.昭和四二年一一月二五日の一、〇〇〇万円の返済(全額否認)

原判決は、同日被告人会社が中村から一、〇〇〇万円の返済を受けたものと認定し、その証拠として証人谷口の、森野章から二、〇〇〇万円を借受けて内一、〇〇〇万円を被告人会社への返済に充て、その余の一、〇〇〇万円を実際には中村が使用していた赤江農協の黒木正名義の預金に入れた旨の供述及び中村の、谷口に資金をお願いして二、〇〇〇万円融資してもらい、一、〇〇〇万円を被告人会社への返済に充て残りを黒木正名義に預け入れた旨の供述記載を挙げ、黒木正名義の貯金元帳の記載をもってその裏付けとする。

しかしながら被告人会社は前記21の場合同様同年一〇月二日赤江農協より一、五〇〇万円の払戻しを受けて以来貯金残高は全くなかったのであるからその間において払戻し、返済を受けることなどあり得る筈はなく原判決の挙げる右の証拠だけではこの一、〇〇〇万円が被告人会社に返済されたものと認定するに足りるものではない。

23.昭和四二年一二月五日の一、五〇〇万円の返済(全額否認)

原判決は、同日被告人会社が中村から一、五〇〇万円の返済を受けたものと認定し、その証拠として証人谷口の、同日森野章から一、五〇〇万円を借り受けこれを被告人会社への返済に充てた旨の供述及び中村の、谷口を通じて現金で一、五〇〇万円を被告人会社に返済したが、返済資金は谷口に調達してもらったもので、調べたところ森野章から一、五〇〇万円出ていることがわかった旨の供述記載を挙げ、谷口作成の備忘録と題する書面の森野章からの借入金記載部分をもってその裏付けとする。

しかしながら、被告人会社は前記21の場合同様同年一〇月二日赤江農協より一、五〇〇万円の払戻しを受けて以来貯金残高は全くなかったのであるからその間において払戻し、返済を受けることなどあり得る筈はないのである。更に後記三の26において述べるように中村は同年一一月三〇日この一、五〇〇万円に対し一か月一割に相当する前利息一五〇万円を支払ったというのに何故にその五日後借入金全額を返済するのであるか、谷口、中村の供述は著しく不合理であり、原判決の挙げる右証拠をもってしては到底この一、五〇〇万円が被告人会社に返済されたものと認定し得るものではない。

24.昭和四二年一二月二九日の一、〇〇〇万円の返済と同月三〇日の一、〇〇〇万円の貸付(一二月二九日の一、〇〇〇万円の返済は全額否認。一二月三〇日の一、〇〇〇万円については被告人会社の赤江農協に対する貯金として認める。)

原判決は、被告人会社が同月二九日中村から一、〇〇〇万円の返済を受け同月三〇日中村に対し一、〇〇〇万円を貸付けたものと認定し、その証拠として証人谷口の、県信連の赤江農協名義の当座預金から同月二九日一、〇〇〇万円が宮崎銀行の赤江農協名義の預金口座に振込まれ同日同預金から右一、〇〇〇万円が払出されて、これを被告人会社に返済し、翌一二月三〇日被告人会社から小切手で一、〇〇〇万円を借受けこれを県信連の赤江農協名義の当座預金に預け入れた旨の供述及び中村の、右一、〇〇〇万円の返済と借入はいわゆる切替えであり、谷口に資金調達や処理を一任していた旨の供述記載を挙げ、県信連の赤江農協名義の当座預金元帳、宮崎銀行の赤江農協の普通預金口座の各記載、被告人会社振出の一、〇〇〇万円の小切手の存在をもってその裏付けとする。

しかしながら、被告人会社は同月三〇日赤江農協に対し一、〇〇〇万円の貯金をした事実はあるが、同月二九日一、〇〇〇万円の返済を受けたとの点については前記21の場合同様同年一〇月二日赤江農協より一、五〇〇万円の払戻しを受けて以来貯金残高は全くなかったのであるからその間において払戻し返済を受けることなどあり得る筈はないのである。原判決書別表(四)によれば被告人会社が返済を受けたという一、〇〇〇万円は前記18の貸付のうちの一、〇〇〇万円であり貸付けをしたという一、〇〇〇万円とは切替えという関係になるのであるが、後記三の25の如く前記18の各一、〇〇〇万円に対しては既に昭和四三年一月二四日までの前利息が支払われたこととなっているのであるから二〇日余も前の前年一二月三〇日にその切替えをするなどということはあり得る筈はないのであって谷口や中村の供述は著しく合理性を欠き信用に値しないものであるにかかわらずこれを証拠とした右認定は誤りである。

25.昭和四三年三月二五日の二、〇〇〇万円の返済(全額否認)

原判決は、同日被告人会社が中村から二、〇〇〇万円の返済を受けたものと認定し、その証拠として証人谷口の、被告人会社へ同日二、〇〇〇万円を返済したことにより、被告人会社に対する中村の借入金の残高がなくなったが右二、〇〇〇万円の返済資金は赤江農協の双和ハウス代表児玉武行名義の貯金から二、〇〇〇万円を払出したこととし(これは農協の内部処理)日本勧業銀行の赤江農協名義の普通預金口座から二、〇〇〇万円を払出して現金を用意しそれで支払った旨の供述及び中村の前同旨の供述記載を挙げ、児玉武行名義の貯金元帳、日本勧業銀行宮崎支店の赤江農協の普通預金元帳の各記載をもってその裏付けとする。

しかしながら符号六四の貯金通帳に明らかなように被告人会社は同年一月五日赤江農協から一、〇〇〇万円の払戻しを受けたことにより貯金残高がなくなっていたのであるから同年三月二五日に及んで中村はもちろん赤江農協からも返済を受ける理由はないのであって、谷口、中村の供述は信用に値せず、これを証拠とした原判決の認定は誤りである。

二、右「融資元金の流れ」についての原判決認定の不当性補充

以上が原判決の認める被告人会社の中村に対する貸付、返済関係とその証拠及びこれを事実誤認とする理由である。証人谷口の供述や中村の調書の供述記載が金融機関の帳簿の記載等によって裏付けられている点、一見原判決の認定は間違いのないものであるかの如く受取れるかも知れない。しかしながらこれを詳細に検討するときは個々の事実につき前記のように不当な認定が多々存するばかりでなく更に以下に述べるように根本的な欠陥が存するのである。

1.赤江農協又は中村の預貯金に関し原判決が以上に認定した動きがあったことは事実としても、それが被告人会社の貸付又は被告人会社への返済によるものであるとなすためには、その現金(小切手による貯金については明白である。)が被告人会社の手持ちの現金中より貸出されたものかあるいは預貯金から払戻しの上貸付けされたものか、後者の場合被告人会社の如何なる預貯金から払戻されたものか、返済を受けたという現金は被告人会社の如何なる預貯金に入金されたのであるか等についての証明がなされてはじめて被告人会社の貸付、被告人会社への返済ということができるものと思料するのであるが、前記一記載のすべての貸付返済についてその証明は一切なく専ら証人谷口の詳述や中村の供述記載によって被告人会社の貸付、被告人会社への返済とされているに過ぎないのである。

しかしながら証人谷口の供述には次の2において述べるような矛盾があってその信用性は乏しく、中村の供述記載は谷口のいうところに従って作成されたものであることは明白であるからこれ又信用に値せず結局赤江農協又は中村の預貯金と被告人会社との関連を認めるに足る証拠は存しないものというべきである。

2.次に被告人会社が真に原判決認定の金額を中村に貸付け、同人から返済を受けたものとすれば当然そのことを証するに足りる貸借証書の授受又は中間に介在したという赤江農協の通帳への記載がなされていなければならないのにかかわらず本件において存在するのは原判決の認定と金額、日時が可なりの点において相違する赤江農協の貯金元帳(符号六二の二)及び貯金通帳(符号六四)だけであって原判決認定の事実にそう貸借証書、通帳は存在しないのである。およそ金銭の貸付を行う者は如何にしてこれを安全に回収するかに腐心し、貸付を証する書面の徴収はもちろん相手の信用如何によっては人的物的保証を徴するのが通常であるのに本件においては右符号六四の貯金通帳と符号六十二の二の元帳しか存在しないのは、すなわちこれらに記載されている貯金の預入れ、払戻し以外の金銭の動きがなかったことの明白な証拠である。証人谷口は前記一の各項目につき銀行の預金元帳等の記載を挙げ供述内容に確信があるかのような証言をするが、かりにその供述とおり被告人会社が貸付けをなし返済を受けたものとすれば、弁論要旨添付の「谷口秀精が証言した通りの金額で作った預金払戻表」(記録五二五四丁)のとおり、被告人会社は四、〇〇〇万円の過払いを受けたこととなるわけであるが、そのようなことがあり得る筈はないのであるから同人の供述の信用性は到底符号六四の貯金通帳の記載の信用性に及ぶものではない。又原判決は符号六二の二の貯金元帳は、谷口が後になって被告人岩切から「近く国税局から査察があるから預金元帳を自分のいうとおりに書いてくれ」と電話で依頼を受けて被告人岩切のいうままに作成されたものと認定し(原判決五〇丁裏)その記載の信用性を否認するが不当も甚だしい。そもそも符号六二の二の貯金元帳の記載は符号六四の貯金通帳と記載内容が同一であるところ、その符号六四の通帳の記載は昭和四一年三月三一日の欄の記載を除きその余は全部外ならぬ谷口が記載したものであることは証拠上明白な事実である。それにもかかわらず被告人岩切が谷口に対し「自分のいうとおり書いてくれ」などとそれと同一内容の元帳の作成を依頼することがあるであろうか。被告人岩切としては元帳は当然存在するものと思っており、これが存在しないなどということは想像もしていなかったし、又国税局からの査察があるなど知る由もなかったのであるから元帳の作成を谷口に依頼する道理がないのである。かりに谷口が後日これを作成したものとすれば、被告人会社の貯金、払戻しの都度記帳しおくべき事務を怠っていたため後日まとめて記載したものにすぎず、これがためその記載内容の信用性を否認することは誤りである。

以上のとおり本件にあっては符号六二の二の貯金元帳と符号六四の貯金通帳の各記載だけが信用に値する証拠であり、これと異なる認定をなした原判決は事実を誤認したものというべきである。

3.次に原判決は「本件融資についての赤江農協側の認識について」と題し(原判決書一七丁以下)、赤江農協の参事植木忠義や谷口は、本件現金や小切手は被告人会社から中村への融資であって赤江農協はその手段であると認識していたものとなし、更に谷口が被告人岩切から受取った現金や小切手を中村の使途のために処理したことについて「いやしくも公的機関たる赤江農協が、特定の大口預金者なる被告人会社から受取った預金なるものを、そのまま特定の第三者、すなわち中村勇夫への融資に向けることはその預金者なる者の同意なしには到底できることとは考えられない」となし本件は被告人会社から中村への融資であると認定する。しかしながら、被告人岩切や山下哲夫が前記小切手及び現金につき、これを担保又は見返りに赤江農協が中村に貸付けをしたり、中村の使途のために処理することを容認した事実は存在しない。そのことは被告人会社の貯金にかかる小切手のほとんどが赤江農協から同農協の県信連口座に預金されている事実がこれを証明する。(18、三六三の各小切手の裏面。)

仮りに赤江農協が被告人会社から受入れた貯金を専ら中村の使途のために処理していたものとすれば、そのよって来るところは前記一の1で述べた如く当時赤江農協の信用業務は乱脈を極め、原判決のいう公的金融機関でありながらその使命を忘れ去り、恰も中村一個人のための金融機関であるかの如く同人に奉仕することに専念していたからに外ならず、決して被告人会社らの容認があったからではない。そのことは前記一の各事実を直視すれば明白であるにかかわらず、原判決は、赤江農協が公的金融機関であるが故に不正がないものと誤った予断にとらわれたため事案の真相を見失うに至ったものというべきである。

4.次に原判決、被告人会社が昭和四一年一〇月五日赤江農協より一、五〇〇万円の払戻しを受けた旨の符号六四の貯金通帳の記載並びにその場所は赤江農協であったとの主張を否認し、赤江農協には符号六四の貯金通帳に見合う預金元帳が当時存在していなかったのであるから預金通帳の記載だけに基いて一、五〇〇万円もの大金を払戻すことは到底考えられないことであるという。被告人岩切が預金元帳がないなどということを当時全く考えていなかったこと前述のとおりであるがそれはともかくとして符号六四記載の金額はすべてこの貯金通帳と印鑑だけによって授受されていたことは証拠上明白であり原判決の認定は間違いである。被告人岩切の第五〇回公判における供述(記録三三八二丁)によれば、当日谷口から都合で持参できないが準備しておくといわれ、当時宮崎銀行に勤務していた野崎恭平を代理人として受領に赴かしめたものであって、そのことは第四九回公判における野崎恭平の証言(記録三二八二丁から三二八六丁まで)及び第五三回公判における三原清豊の証言(記録三六四九丁)により認め得るところであり、赤江農協では谷口又は谷口から指示を受けた者が支払ったものとしても決して不自然ではなく、これに前記一の10記載の証人谷口同矢野の供述を合せ考えればこの一、五〇〇万円が支払われたことは一層明白であるといわなければならない。

それにしても原判決が、検察官の主張にはないが、証人谷口の前記2の四、〇〇〇万円の過払いの点について何ら言及するところがないのは如何なる理由によるものであろうか。原判決によれば本件は個々に独立した事件の集合ではなく継続した貸借関係を起訴として組立てられた一個の事件であって貸付けと返済が厳密に同金額でなければならない性質のものである。原判決は形式的には同金額としているが実際にはこの四、〇〇〇万円を全く無視して帳尻を合せたにすぎない。しかしながらこれを無視することは許されるものではない。まず四、〇〇〇万円過払いの存否につき証拠によって確認し、これが存在するときは他の返済部分に誤りがあったことになるのであるからそれが何れからきたものであるかを明白にすることができないときは貸付け、返済のすべてが確定されないこととなりひいては事実の認定が不可能となるものであることは論理上明白である。しかるに原判決はこの四、〇〇〇万円について何ら確定することなく別表(四)のとおり貸付、返済を認定したことは結局事実を誤認したものというべきである。

三、原判決認定の「被告人会社及び大野が受領した利息」について

1.昭和四〇年一〇月一五日の二二五万円の支払(被告人岩切全額否認、以下同じ)

原判決は、同日中村が大野に対し前記一の1の導入預金一、五〇〇万円に対する月五分の割合による三か月分の利息二二五万円の支払いをなしたものと認定し、その証拠として中村の、被告人会社振出の一、三五〇万円の小切手を換金した内から大野に二二五万円を交付し、大野に対しては別途手数料を支払った旨の供述記載のほか、前記一の1掲記の証拠を挙げる。

しかしながら右一、五〇〇万円は被告人会社が赤江農協に、貯金したものであって、中村に貸したものでないことはもちろん原判決が認定するように中村の媒介による導入預金と認められないこと前記のとおりであるから同人から利息の支払いを受ける理由はない。大野も支払いを受けた事実を認めず他に被告人会社がこれを受領したことを窺わせるに足る如何なる証拠も存在しない。

2.昭和四一年三月三一日の八〇万円の支払

原判決は同日中村が大野に対し前記一の3の借入れの一、〇〇〇万円に対し、月八分の割合による一か月分(同日から同年四月三〇日まで)の利息八〇万円の支払いをなしたものと認定し、その証拠として、中村の、その旨及びその支払資金については、同月二九日旭相互銀行の中村紘和名義の普通預金から引き出した三〇万円の内の一〇万円と同月三一日同預金から四〇万円、同月宮崎信用金庫の竹内ナツミ名義の普通預金から二〇万円、同日宮崎信用金庫の中村紘和名義の普通預金から一〇万円をそれぞれ払い出し、その合計八〇万円をこれに充てた旨の供述記載並びに旭相互銀行宮崎支店の中村紘和の普通預金元帳、宮崎信用金庫の竹中ナツミの普通預金元帳、同信用金庫の中村弘和の普通預金元帳の各記載を挙げる。

しかしながら前記一の3の一、〇〇〇万円は、被告人会社及び山下哲夫が赤江農協に貯金したものであって、中村への貸付と認められないこと前記のとおりであるから、同人から利息の支払いを受ける理由はない。又原判決によればこの一、〇〇〇万円は同年四月一九日返済したというのに(前記一の4)同月末日までの一か月分の利息を前払いすることは不合理も甚だしく大野も支払いを受けた事実を認めず他に被告人会社が中村から利息を受領したことを認めるに足る如何なる証拠も存在しない。

3.昭和四一年四月二〇日の三二〇万円の支払

原判決は同日中村が大野に対し前記一の5の昭和四一年四月二一日借入れの二、〇〇〇万円に対する月八分の割合による二か月分(同年四月二一日から同年五月三〇日まで)の利息三二〇万円の支払いをなしたものと認定し、その証拠として、中村の、その旨及び支払い資金については同日宮崎信用金庫の中村弘和名義の普通預金から一〇〇万円、旭相互銀行の中村紘和名義の通知預金から三〇〇万円を払い戻して準備し、その内から三二〇万円を大野に支払った旨の供述記載並びに宮崎信用金庫の中村弘和の普通預金元帳、旭相互銀行宮崎支店の通知預金元帳の各記載を挙げる。

しかしながら同月二一日被告人会社が貯金したのは前記の如く五四〇万円であり、しかもこれは赤江農協に貯金したものであって中村に貸したものではないから同人から利息の支払いを受ける理由はない。大野も支払いを受けた事実を認めず他に被告人会社が中村から利息を受領したことを認めるに足る如何なる証拠も存在しない。

4.昭和四一年五月一〇日の八〇万円の支払

原判決は、同日中村が大野に対し前記一の6の借入れの一、〇〇〇万円に対し月八分の割合による一か月分(同日から同年六月一〇日まで)の利息八〇万円の支払いをなしたものと認定し、その証拠として中村のその旨及び支払い資金は同月九日宮崎信用金庫の中村弘和名義の普通預金から引出した七〇万円、同月一〇日同信用金庫の竹中ナツミ名義の普通預金から引き出した内の一〇万円の合計八〇万円である旨の供述記載並びに宮崎信用金庫の中村弘和名義、竹中ナツミ名義の各普通預金元帳の記載を挙げる。

しかしながら同日被告人会社が貯金したのは前記の如く二〇〇万円であり、しかもこれは赤江農協に貯金したものであって中村に貸したものではないから同人から一〇〇〇万円もの元金に対する利息の支払いを受ける理由はない。大野も支払いを受けた事実を認めず他に被告人会社が中村から利息を受領したことを認めるに足る如何なる証拠も存在しない。

5.昭和四一年六月一三日の八〇万円の支払

原判決は、同日中村が大野に対し前記一の6の同年五月一〇日借入れの一、〇〇〇万円に対する月八分の割合による一か月分(同年六月一一日から同年七月一〇日まで)の利息八〇万円の支払いをなしたものと認定し、その証拠として中村のその旨及び支払資金は同日宮崎信用金庫大淀支店で大興商事振出の金額八〇万円の手形を割引いた金で充当した旨の供述記載並びに宮崎信用金庫の中村勇夫の割引手形元帳の記載を挙げる。

しかしながら前記4同様被告人会社が中村から利息を受領したことを認めるに足る如何なる証拠も存在しない。

6.昭和四一年六月二四日の二四〇万円の支払

原判決は、同日中村が大野に対し前記一の8の同月二五日借入れの三、〇〇〇万円に対する月八分の割合による一か月分(同年六月二五日から同年七月二五日まで)の利息二四〇万円を支払ったものと認定し、証拠として中村のその旨及び支払資金は宮崎信用金庫の竹中ナツミ名義の普通預金から同月二三日に三五万円同月二四日に五万円、同日同信用金庫の中村弘和名義の普通預金から二〇〇万円をそれぞれ払出した合計二四〇万円である旨の供述記載並びに宮崎信用金庫の竹中ナツミ、中村弘和の普通預金元帳の各記載を挙げる。

しかしながら、同年六月二五日被告人会社が貯金したのは前記の如く一、二五〇万円であり、しかもこれは赤江農協に貯金したものであって中村に貸したものではないから同人から三、〇〇〇万円もの元金に対する利息の支払いを受ける理由はない。大野も支払いを受けた事実を認めず、他に被告人会社が中村から利息を受領したことを認めるに足る如何なる証拠も存在しない。

7.昭和四一年七月二九日の四〇〇万円(二四〇万円と一六〇万円の二口の利息)の支払

原判決は、同日中村が大野に対し前記一の6の同年五月一〇日借入れた一、〇〇〇万円に対する月八分の割合による三か月分(同年七月一一日から同年九月三〇日まで)の利息二四〇万円と同年七月二九日に借入れる一、〇〇〇万円に対する月八分の割合による二か月分(同年七月二九日から同年九月二九日まで)の利息一六〇万円の合計四〇〇万円を支払ったものと認定し、証拠として中村のその旨及び支払資金は宮崎信用金庫の中村紘和名義の普通預金から同年七月二九日二二〇万円を払出し同日谷口から一八〇万円を立替えてもらった合計四〇〇万円である旨の供述記載並びに宮崎信用金庫の中村紘和の普通預金元帳の記載及び証人谷口の一八〇万円を立替えた旨の供述を挙げる。

しかしながら被告人会社が同年五月一〇日貯金したのは前記の如く二〇〇万円、同年七月二九日貯金したのは前記二の9の如く六七〇万円であり、しかもこれは赤江農協に貯金したものであって中村に貸したものではないから同人から各一、〇〇〇万円に対する利息の支払いを受ける理由はない。又谷口は第三六回公判において検察官の誘導により、利息を支払うのに足りないから貸してくれと中村から頼まれて一八〇万円を貸した旨証言するが、一方においてこのことについてはよく覚えていないとも証言し(二二三九丁)、もしそうであれば当然一八〇万円の出所について証明がなされる筈であるところ、これがないのであって結局中村の供述は重要な点について裏付けを欠き信用に値しないものというべきである。更に原判決が高い信用性を認めその認定の拠り所とした中村の供述によれば利息は前払いであった筈であり(同人の検察官に対する昭和四四年一一月一二日付供述調書中村一一二九丁)、そうだとすれば五月一〇日借入れたという一、〇〇〇万円に対する利息は遅くとも七月一〇日に支払わなければならない(前記のように前二月分については五月一〇日と六月一三日に支払われたこととなっている。)筈であるのに何故に約二〇日間も遅れたのであるかについて首肯し得る証拠なくむしろ右二四〇万円は他に支払われたことを裏付けるものというべく中村の供述は信用できないばかりか、大野も支払いを受けた事実を認めず、他に被告人会社が中村から利息を受領したことを認めるに足る如何なる証拠も存しない。

8.昭和四一年七月三〇日の四八〇万円の支払

原判決は、同日中村が大野に対し前記一の8の同年六月二五日と同月二九日借入れた三、〇〇〇万円に対する月八分の割合による二か月分(同年八月一日から同年九月三〇日まで)の利息四八〇万円を支払ったものと認定し、証拠として中村のその旨及び支払い資金は同年七月三〇日付の宮崎信用金庫振出の保証小切手三七〇万円から前記7の谷口の立替分一八〇万円を差引いた一九〇万円と同年七月二九日被告人会社から一、〇〇〇万円借入れた際の現金の残り三〇〇万円の内二九〇万円との合計四八〇万円である旨の供述記載並びに証人谷口の昭和四一年七月三〇日額面三七〇万円の宮崎信用金庫の保証小切手を中村が持参し赤江農協で現金化したうえ谷口の立替分一八〇万円を差引いた残金を中村に渡した旨の供述及び宮崎信用金庫の中村紘和名義の普通預金元帳の記載を挙げる。

しかしながら被告人会社が同年六月二五日と同月二九日になしたのは前記の如く合計一、五〇〇万円でありしかもこれは赤江農協に貯金したものであって中村に貸したものではないから同人から三、〇〇〇万円もの元金に対する利息の支払いを受ける理由はない。又赤江農協の中村紘和名義の貯金元帳(三九一)によれば同年八月一日(七月三〇日〆)二九〇万円が同口座に入金されたこととなっているが、谷口の証言によればこの二九〇万円は同年七月二九日被告人会社から借入れた現金三三〇万円のうちであるという。(記録二〇三八丁、二一〇八丁)仮にそうだとすると中村は右保証小切手の三七〇万円、被告人会社からの三三〇万円計七〇〇万円をもって谷口の立替分一八〇万円、中村紘和名義の貯金二九〇万円、本件利息四八〇万円合計九五〇万円を支払ったこととなるわけであるがそのようなことができる筈はなく結局四八〇万円を支払ったとする中村の供述記載は信用することのできないものであることが明白である。更に利息はすべて前払いの定めであったとのことであり、そうだとすれば遅くとも七月二五日までには支払わなければならない筈であるが、これが五日間も遅れてなされたとの点も又右四八〇万円が支払われなかったことを窺わせるに十分であり結局本件についても又支払われた証拠はないものというべきである。

9.昭和四一年九月二九日の四八〇万円の支払

原判決は、同日中村が大野に対し同日現在における被告人会社からの借入金合計残高三、〇〇〇万円に対する月八分の割合による二か月分(昭和四一年一〇月一日から同年一一月三〇日まで)の利息四八〇万円を支払ったものと認定し、その証拠として中村のその旨及び支払資金は宮崎信用金庫の中村紘和名義の普通預金から同年九月二九日一〇〇万円と二〇四万円を払出しこの三〇四万円と宮崎銀行の通知預金を同月二八日に解約して受取った五〇〇万円の内三一五万円を別途宮崎開発へ借入金の利息として支払った残りの一八五万円の内からの一七六万円との合計四八〇万円で準備した旨の供述記載並びに宮崎信用金庫の中村紘和名義の普通預金元帳の記載を挙げる。

しかしながら、符号六四の貯金通帳に明らかな如く被告人会社は同月二九日現在赤江農協に対し二、〇〇〇万円の貯金をしていたが翌九月三〇日全額の払戻しを受けているので、中村はもちろん赤江農協からもこれに対する二か月分の利息の前払いを受ける理由はない。中村は本件につき、はじめは支払い金額三二〇万円と供述していた(記録一一五三丁、同人の検察官に対する昭和四四年一一月一二日付供述調書添付の上申書)が、昭和四五年八月二〇日付上申書(記録一六九六丁)において右金額は四八〇万円である旨供述を変更しているのであるが、変更の理由は借入元金に変動があったからというのであって自己の記憶に基くものでない外前記宮崎銀行に対する通知預金を解約したことを認めるに足る証拠なく中村の供述は信用できないばかりか、大野も支払いを受けた事実を認めず、他に被告人会社が中村から利息を受領したことを認めるに足る如何なる証拠も存しない。

10.昭和四一年一〇月二四日の一二〇万円の支払

原判決は、同日中村が大野から前記一の12の同日被告人会社から借入れるべき一、五〇〇万円に対する月八分の割合による一か月分の利息一二〇万円を立替えて支払ってもらい、その後被告人会社から借入れた右一、五〇〇万円で大野に右立替金一二〇万円を返済したものと認定しその証拠として中村のその旨及びその残りを赤江農協への預金、谷口秀精外の貸付返済等に使った旨の供述記載及び証人谷口の同日被告人岩切から一、五〇〇万円を受取り中村の預金口座に預金し、中村が他人名義で借りていた元利金の返済に充てた旨の供述並びに赤江農協の中村紘和名義の貯金元帳、証書貸付金伝票綴、県信連の赤江農協名義の当座預金元帳の各記載を挙げる。

しかしながら符号六四の貯金通帳に明らかな如く被告人会社は同日現在中村に対してはもちろん赤江農協に対しても貯金した事実はないのであるから中村から利息の支払いを受けるべき理由はなく大野も支払いを受けた事実を認めず、他に被告人会社が中村から利息を受領したことを認めるに足る如何なる証拠も存しない。

11.昭和四一年一二月二〇日の二四〇万円の支払

原判決は同日中村が大野に対し、同日現在における被告人会社からの借入金残高三、〇〇〇万円に対する月八分の割合による一か月分(昭和四一年一二月一日から同月三一日まで)の利息二四〇万円を支払ったものと認定し、その証拠として中村の、その旨及び支払資金は谷口に赤江農協から資金作りしてもらった二一二万円と赤江農協の中村の普通預金から同年一一月三〇日に五〇万円を払出した内からの二八万円との合計二四〇万円である旨の供述記載並びに証人谷口の同年一二月一四日赤江農協から谷口衛名義で八〇万円を貸出し、同じく和田重治名義で一三二万円を貸出しており以上合計二一二万円が中村から被告人会社への利息の支払いに充てられた旨の供述及び証書貸付金伝票綴、赤江農協の中村紘和名義の貯金元帳の各記載を挙げる。

しかしながら符号六四の貯金通帳に明らかな如く被告人会社は同年一二月二〇日現在赤江農協に対し五〇〇万円の貯金しかしていなかったのであるから中村はもちろん赤江農協からも三、〇〇〇万円に対する利息の支払いを受ける理由はない。かりに原判決認定のとおりとすれば利息は前払いの約束であったこと前記のとおりであるからこの二四〇万円は同年一一月三〇日に支払われるべきであるにかかわらず何故に中村は同日及び一二月一四日の二回に亘って支払資金の手当てをしておりながら一二月二〇日まで支払わなかったかについての理由を発見し得ないのであって右二四〇万円は他に支払われたものであることを窺わせるに十分であり、更に同人は前記9の場合と同じくはじめは支払金額一六〇万円と供述していた(同人の検察官に対する昭和四四年一一月一二日付供述調書添付の上申書記録一一五三丁)が昭和四五年八月二〇日付上申書(記録一六九六丁)において右金額は二四〇万円である旨供述を変更するなど同人の供述記載は合理性と明確性を欠き到底二四〇万円支払いの証拠たり得るものではない。

12.昭和四一年一二月三〇日の八〇〇万円(三二〇万円と四八〇万円の二口の利息)の支払

原判決は、同人中村が大野に対し同日現在の被告人会社からの借入金二、〇〇〇万円に対する月八分の割合による二か月分(昭和四二年一月一日から同年二月二八日まで)の利息三二〇万円及び同年一二月三一日に借入すべき三、〇〇〇万円に対する月八分の割合による二か月分(昭和四二年一月一日から同年二月二八日まで)の利息四八〇万円の合計八〇〇万円を支払ったものと認定し、その証拠として中村のその旨及び支払い資金は昭和四一年一二月二八日宮崎信用金庫の中村紘和名義の普通預金から二〇〇万円、同月二九日同預金から三〇〇万円を各払出し、これらと同月三〇日に谷口に立替えてもらった二五〇万円、手持現金五〇万円の合計八〇〇万円である旨の供述記載並びに宮崎信用金庫の中村紘和名義の普通預金元帳、赤江農協の証書貸付金伝票綴中谷口衛名義の借受の各記載及び証人谷口の谷口衛名義で借受けた二五〇万円は被告人会社への右利息の支払いに充てた旨の供述等を挙げる。

しかしながら符号六四の貯金通帳に明らかな如く被告人会社は昭和四一年一二月三〇日赤江農協から五〇〇万円の払戻しを受けたことにより貯金残高はなくなったのであるから中村はもちろん赤江農協からもこれに対する将来の利息の支払いを受ける理由はなく、又同月三一日赤江農協に対し三、〇〇〇万円を貯金したことは事実であるがこれは赤江農協に対する貯金であって中村に貸したものではないばかりか昭和四二年一月九日と一〇日の二回にわたり全額払戻しを受けている(符号六四貯金通帳、谷口の第四〇回公判における証言、記録二五二六丁)のであるから何人からも二か月分もの前利息の支払いを受ける理由はない。大野も支払いを受けた事実を認めず、他に被告人会社が中村から利息を受領したことを認めるに足る如何なる証拠も存しない。

13.昭和四二年二月二七日の三六〇万円の支払

原判決は、同人中村が大野に対し同年三月一日現在の被告人会社からの借入金残高四、〇〇〇万円に対する月九分の割合による一か月分(同日から同月三一日まで)の利息三六〇万円の支払いをなしたものと認定し、その証拠として中村のその旨及び支払資金は谷口に作って貰ったが利息が月九分の割合に上がったのは借入金額残高が減少せず逆にふえる状態だったため大野から要求されて利率を上げた旨の供述記載並びに証人谷口の同年二月二七日ころ中村のために森野章から借入れた二、〇〇〇万円を全部中村に使わせたこと、その二、〇〇〇万円の内一、二〇〇万円は宮崎信用金庫の中村勇夫名義の当座預金に預け入れた旨の供述及び宮崎信用金庫の中村勇夫の当座預金元帳の記載を挙げる。

しかしながら符号六四の貯金通帳に明らかな如く昭和四二年三月一日における被告人会社の赤江農協に対する貯金残高は全くなかったのであるから中村はもちろん赤江農協からも利息の支払いを受ける理由はない。原判決別表(四)によれば借入金残高四、〇〇〇万円の内訳は昭和四一年六月二五日、同月二九日の合計三、〇〇〇万円の借入金(前記一の8)より同年一二月三〇日返済の一、〇〇〇万円(前記一の14)を控除した残額二、〇〇〇万円に同月三一日借入れの三、〇〇〇万円(前記一の14)を加えた計五、〇〇〇万円に昭和四二年二月二八日に借入れるべき五〇〇万円(前記一の15)を加えた五、五〇〇万円より同年三月一日に返済すべき一、五〇〇万円(前記一の16)を控除した残額をいうのであるがその根拠とする中村の供述記載はいまだ借入れていない五〇〇万円を借入れたものとし、いまだ返済していない一、五〇〇万円を返済したものとして計算する等極めて不自然であり信用に値しないばかりか森野章からの借入れの事実も証明されておらず、原判決の挙げる証拠のみをもってしては到底右三六〇万円の支払いを認定し得るものではない。大野も支払いを受けたことを認めず、他に被告人会社が中村から利息を受領したことを認めるに足る如何なる証拠もない。

14.昭和四二年三月三一日の七二〇万円の支払

原判決は同日中村が大野に対し前記一の17の四、〇〇〇万円(同日の借入)に対する月九分の割合による二か月分(同年四月一日から五月三一日まで)の利息七二〇万円を支払ったものと認定し、その証拠として中村のその旨及び支払資金は同年三月三一日赤江農協から新日本土木名義で借入れた一、五二五万円の内である旨の供述記載並びに証人谷口の同日新日本土木株式会社に対し一、五二五万円の証書貸付があるが実際に貸付を受けたのは中村である旨の供述及び赤江農協の現金伝票綴の存在を挙げる。

しかしながら前記一において述べた如く、被告人会社が同日赤江農協に貯金した四、〇〇〇万円は同年四月三日払戻しを受けているのであるから中村はもちろん赤江農協からもこのような利息を受けるべき理由はない。証人谷口も中村が新日本土木株式会社名義で借受けた金額が一、五二五万円という端数のある金額であるところから判断すると利息が含まれているのではないかと思うがはっきりしないと供述している(第三六回公判における供述記録二二四三丁)のであって中村の供述記載の裏付となり得るものではなく原判決の挙げる証拠のみをもっては到底右七二〇万円の支払いを認定し得るものではない。大野も支払いを受けた事実を認めず、他に被告人会社が中村から利息を受領したことを認めるに足る証拠も存しない。

15.昭和四二年六月五日の四〇〇万円の支払

原判決は、同日中村が大野に対し、同日現在における被告人会社からの借入金残高四、〇〇〇万円に対する月一割の割合による一か月分(同年六月一日から同月三〇日まで)の利息四〇〇万円を支払ったものと認定し証拠として中村の、その旨及び支払資金は同年五月二九日宮崎住宅生協に一億三五〇〇万円で売却した土地代金の内その時に受領した金額二、五〇〇万円の約束手形を同年六月三日高千穂相互銀行で割引きその割引金を入金した同銀行の中村勇夫名義の普通預金から同月五日一、二〇〇万円を払出した内であるが利率については元本の返済を迫られたが返済できないため期間の延長を願い出ると利息をあげるといわれて月一割の利息を支払うこととなった旨の供述記載並びに高千穂相互銀行の普通預金元帳の記載を挙げる。

しかしながら符号六四の貯金通帳に明らかな如く、被告人会社は同日現在貯金の残高は全くなかったのであるから中村はもちろん赤江農協からも利息の支払いを受けるべき理由はない。又中村の供述記載によれば前記のように利息は前払いであったというのであるから、仮りに同日の供述のとおりとすれば右利息は遅くとも六月一日には支払われるべきであるのに四日間も遅れていることは被告人会社への支払いではなく他への支払いであることを窺うに十分であって中村の供述記載は信用し難いものといわなければならない。大野も支払いを受けた事実を認めず他に被告人会社が中村から利息を受領したことを認めるに足る如何なる証拠も存しない。

16.昭和四二年七月一日の四〇〇万円の支払

原判決は、同日中村が大野に対し、同日現在における被告人会社からの借入金残高四、〇〇〇万円に対する一〇日間(同年七月一日から同月一〇日まで)で一割の利息四〇〇万円を支払ったものと認定し、その証拠として中村の、その旨及び支払資金は同月一日谷口に一、五〇〇万円を作ってもらった内であるがこの頃資金繰りが最も苦しい時で要求されるままに「といち」といわれる一〇日に一割の高利を支払った旨の供述記載並びに証人谷口の同月一日森野章から赤江農協に一五〇〇万円預金してもらいこれを中村が使ったという記憶がある旨の供述を挙げる。

しかしながら前記同様被告人会社は中村はもちろん赤江農協からも利息の支払いを受けるべき理由がないほか、中村は当時既に岡勢隆平から低利の資金を導入し得たのであるから(この点については控訴審において証する。)かくも高利の資金を借りつづける必要はなかったにかかわらずこれを借りつづけたとする供述記載は著しく合理性を欠き信用に値しないばかりか、証人谷口の、森野章から赤江農協に一、五〇〇万円貯金してもらい中村がこれを使った旨の証言も裏付けなく信用に値しないものである。大野も支払いを受けた事実を認めず他に被告人会社が中村から利息を受領したことを認めるに足る如何なる証拠も存しない。

17.昭和四二年七月一一日の四〇〇万円の支払

原判決は、同日中村が大野に対し、同日現在における被告人会社からの借入金額残高四、〇〇〇万円に対する二〇日間(同月一一日から同月三一日まで)で一割の利息四〇〇万円を支払ったものと認定し証拠として中村の、その旨及び支払資金は谷口に赤江農協から二〇〇万円融通してもらい残り二〇〇万円は前記16の谷口に作ってもらった一、五〇〇万円の内から充てた旨の供述記載並びに証人谷口の同月一一日和田重治名義で二〇〇万円貸出したが実際にこの二〇〇万円の貸付を受けたのは中村である旨の供述及び現金伝票綴を挙げる。

しかしながら、前記同様被告人会社は中村はもちろん赤江農協からも利息の支払いを受けるべき理由がない外中村の供述記載内容は著しく不合理であるばかりか証人谷口が一、五〇〇万円作った旨の供述は裏付けを欠き信用に値しない。大野も支払いを受けた事実を認めず、他に被告人会社が中村から利息を受領したことを認めるに足る如何なる証拠も存しない。

18.昭和四二年七月二五日の二一〇万円の支払

原判決は、同日中村が大野に対し、同日被告人会社が中村に貸付けた前記一の18の一、〇〇〇万円に対する月七分の割合による三か月分(同年七月二五日から同年一〇月二四日まで)の利息二一〇万円を支払ったものと認定し証拠として中村の、その旨及び支払資金は前記16の谷口に作ってもらった一、五〇〇万円の内から充てた旨の供述記載並びに前記16の証人谷口の供述を挙げる。

しかしながら前記同様被告人会社は中村はもちろん赤江農協からも利息の支払いを受けるべき理由がない外中村の支払資金の出所について裏付けなくその供述内容は信用に値しない。大野も支払いを受けた事実を認めず、他に被告人会社が中村から利息を受領したことを認めるに足る如何なる証拠も存しない。

19.昭和四二年八月一日の四〇〇万円の支払

原判決は、同日中村が大野に対し、前記17記載の借入金残高四、〇〇〇万円に対する一〇日間(昭和四二年八月一日から同月一〇日まで)で一割の利息四〇〇万円を支払った旨認定し証拠として中村の、その旨及び支払資金は同年七月三一日谷口に依頼して赤江農協から黒木幸則名義で二〇五万円借入れ同年八月一日宮崎信用金庫の中村勇夫名義の普通預金から二九五万円払戻した合計五〇〇万円である旨の供述記載並びに証人谷口の同年七月三一日赤江農協から黒木幸則名義で二〇五万円を中村に貸付けたことがあるが、中村はこれを利息の支払いに使ったと思う旨の供述及び赤江農協農協の現金伝票綴、宮崎信用金庫の中村勇夫の普通預金元帳の記載等を挙げる。

しかしながら前記16の場合同様被告人会社は中村から利息の支払いを受ける理由がないばかりか、中村の供述記載内容は他に低利の資金を導入し得たのにかかわらずかくも高利の資金を借りつづけたとする点において著しく合理性を欠き信用するに値しない。大野も又支払いを受けた事実を認めず、他に被告人会社が中村から利息を受領したことを認めるに足る如何なる証拠も存しない。

20.昭和四二年八月一〇日の四〇〇万円の支払

原判決は、同日中村が大野に対し右19記載の借入金残高四、〇〇〇万円に対する一か月分(昭和四二年八月一一日から同年九月九日まで)の月一割の割合による利息四〇〇万円を支払ったものと認定し、その証拠として中村のその旨及び支払資金は同年八月一〇日谷口から作ってもらった一、五〇〇万円の内である旨の供述記載並びに証人谷口の同日森野章から赤江農協に一、五〇〇万円預金してもらいこれを中村に使わせた記憶がある旨の供述を挙げる。

しかしながら前記16の場合同様被告人会社は中村から利息の支払いを受ける理由がないばかりか中村の供述記載内容は他に低利の資金を導入し得たのにかかわらずかくも高利の資金を借りつづけたとする点において著しく合理性を欠き信用に値しない。又証人谷口の供述は検察官の誘導尋問に対しこれを肯定するだけで(記録二二四七丁)その証言には信用性なく中村の供述記載の裏付けとなり得るものではない。大野も支払いを受けた事実を認めず、他に被告人会社が中村から利息を受領したことを認めるに足る如何なる証拠も存しない。

21.昭和四二年九月八日の四〇〇万円の支払

原判決は、同日中村が大野に対し右20記載の借入金残高四、〇〇〇万円に対する一〇日間(昭和四二年九月一〇日から同月一九日まで)で一割の利息四〇〇万円を支払ったものと認定し、その証拠として中村のその旨及び支払資金は同月八日谷口から作ってもらった一、一〇〇万円の内である旨の供述記載並びに証人谷口の同日森野章から赤江農協に一、一〇〇万円預金してもらい、これを中村に使わせた記憶がある旨の供述を挙げる。

しかしながらその全く理由のないこと右20に記載したとおりである。

22.昭和四二年九月一九日の四〇〇万円の支払

原判決は、同日中村が大野に対し右21記載の借入金残高四、〇〇〇万円に対する一〇日間(昭和四二年九月二〇日から同月三〇日まで)で一割の利息四〇〇万円を支払ったものと認定し、その証拠として中村のその旨及び支払資金は谷口に依頼して赤江農協から同年九月一八日和田重治名義で一八〇万円、同月一九日谷口衛名義で二〇〇万円をそれぞれ借受けた合計三八〇万円である旨の供述記載並びに証人谷口の和田重治、谷口衛名義の右貸付は実際には中村に対する貸付であった旨の供述及び証書貸付金伝票綴の各記載を挙げる。

しかしながらその全く理由のないこと右20に記載したとおりである。

23.昭和四二年九月二九日の四〇〇万円の支払

原判決は、中村が同日大野に対し右22記載の借入金残高四、〇〇〇万円に対する月一割の割合による一か月分(昭和四二年一〇月一日から同月三一日まで)の利息四〇〇万円を支払った旨認定し、その証拠として中村のその旨及び支払資金は同月二八日赤江農協から谷口智明名義で借入れた一八〇万円と同月八日谷口に資金作りしてもらった一、一〇〇万円の残金の内である旨の供述記載並びに証人谷口の赤江農協から谷口智明名義で同月二八日一八〇万円を貸付けたがこれは実際は中村に対する貸付であった旨の供述及び谷口智明名義の証書貸付金伝票の記載等を挙げる。

しかしながら、その全く理由のないこと右20に記載したとおりである。

24.昭和四二年一〇月二四日の一〇〇万円の支払

原判決は、同日中村が大野に対し、前記一の20の同日借入れた一、〇〇〇万円に対する月一割の割合による一か月分(同年一〇月二五日から一一月二五日まで)の利息一〇〇万円を支払ったものと認定し、その証拠として中村の、その旨及び支払資金は同年一〇月二四日谷川内数雄へ売却した土地建物の代金一二〇万円である旨の供述記載並に前記一の20記載の中村の、被告人会社から一、〇〇〇万円を借受けた旨の供述記載を挙げる。

しかしながら被告人会社は同日中村はもちろん赤江農協に対しても何らの貸付、貯金をしていないこと前記のとおりである。又原判決は、支払資金は谷川内数雄へ売却した土地建物の代金であるというが、弁護人らの提出の不動産登記簿謄本(記録三五一二丁及び三五一六丁)によれば、中村が宮崎市吉村町下り松甲二四三九番地八号を谷川内敏雄(数雄ではない。なお中村の検察官に対する昭和四四年一一月一二日付供述調書添付の同年七月二三日付上申書記録一一五四丁)に売却したのは昭和四二年一一月二九日であって、中村が利息を支払ったという同年一〇月二四日より一か月余りも後のことである。

中村の供述内容は客観的証拠にも反し到底信用に値するものではない。大野も支払いを受けた事実を認めず、他に被告人会社が中村から利息を受領したことを認めるに足る如何なる証拠も存しない。

25.昭和四二年一〇月二五日の八二〇万円(四二〇万円と四〇〇万円の二口の利息)の支払

原判決は、同日中村が大野に対し右23記載の借入金残高四、〇〇〇万円に対する月一割の割合による一か月分(昭和四二年一一月一日から同月三〇日まで)の利息四〇〇万円と前記一の18の同年七月二五日借入分及び同年一〇月二五日に借入れる一、〇〇〇万円の合計二、〇〇〇万円に対する月七分の割合による三か月分(同年一〇月二五日から昭和四三年一月二四日まで)の利息四二〇万円との合計八二〇万円を支払ったものと認定しその証拠として中村の、その旨及び支払資金は宮崎信用金庫の中村勇夫名義の普通預金から払出した現金一、〇〇〇万円である旨の供述記載並びに宮崎信用金庫の中村勇夫の普通預金元帳の記載を挙げる。

しかしながら符号六四の貯金通帳に明らかなように昭和四二年一〇月二五日現在被告人会社は中村はもちろん赤江農協に対しても貯金残高は全くなかったのであるから、何人からも利息の支払いを受ける理由はない。大野も支払いを受けた事実を認めず他に被告人会社が中村から利息を受領したことを認めるに足る如何なる証拠も存しない。

それにしても、中村の供述記載は前記一の17の四、〇〇〇万円に対し一か月につき最初は九分(右14)、次に一割(右15)次に三割(一〇日間で一割右16)、次に一割五分(二〇日間で一割右17)、次に三割(一〇日間で一割右19)、次に一割(右20)、次に三割(一〇日間で一割、右21)、次に三割(十日間で一割右22)、次に一割(右23)次に一割(本件)というように高利にして且つ一定しない利息を支払ったというものであるが、前述したように、中村の右供述記載は単に大野から要求されたからというだけでは納得し難い非合理的なもので到底前記各認定の証拠たり得るものではないのにかかわらず原判決はそのまま事実としてこれを認めているのは採証の法則を誤ったものというべきである。

26.昭和四二年一一月三〇日の一五〇万円の支払

原判決は、同日中村が大野に対し、同日現在における被告人会社からの借入金合計三、五〇〇万円中一、五〇〇万円(二、〇〇〇万円については右25において支払済という。)に対する月一割の割合による一か月分(昭和四二年一二月一日から同月三〇日まで)の利息一五〇万円を支払ったものと認定し証拠として中村の、その旨及び支払資金は谷口に依頼して作ってもらったが後に調べたところ同年一一月二七日赤江農協の黒木正名義の普通預金から三七五万円が払出されていてその内から右利息の支払いをしたことを知った旨の供述記載並びに証人谷口の同日赤江農協の黒木正名義の普通預金から三七五万円が払戻されているが実際にその払戻金を受け取ったのは中村である旨の供述及び黒木正名義の貯金元帳の記載を挙げる。

しかしながら符号六四の貯金通帳に明らかな如く被告人会社は昭和四二年一一月三〇日現在貯金の残高は全くなかったのであるから中村はもちろん赤江農協からも利息の支払いを受けるべき理由はない。

原判決の認定によれば、この利息一五〇万円の元本一、五〇〇万円は同年一二月五日に返済されたこととなっていることと前記一の23及び原判決添付の別表(四)により明白である。もしそうだとすれば一か月一割もの高利を前払いした中村が僅かその五日後に元本全額を返済したということになるわけであるがそのような不合理極まることがあり得る筈はなく中村の供述記載は全く信用に値しないものであるにかかわらず原判決はあえて右中村の供述記載に従い右利息の支払いを認定したのは採証の法則を誤り事実を誤認したものというの外ない。大野も支払いを受けた事実を認めず他に被告人会社が中村から利息を受領したことを認めるに足る如何なる証拠も存しない。

27.昭和四三年一月二五日の一四〇万円の支払

原判決は同日中村が大野に対し、同日現在における被告人会社からの借入金残高二、〇〇〇万円に対する月七分の割合による一か月分(昭和四三年一月二五日から同年二月二四日まで)の利息一四〇万円を支払ったものと認定し、その証拠として中村の、その旨及び支払資金は大野から一、五〇〇万円借入れた内である旨の供述記載を挙げる。

しかしながら符号六四の貯金通帳に明らかな如く被告人会社は同年一月二五日現在貯金の残高は全くなかったのであるから中村はもちろん赤江農協からも利息の支払いを受けるべき理由はない。原判決の認定によればこの一四〇万円は中村が大野から借入れた一、五〇〇万円より支払われたこととなっているが、大野はこの貸付も利息の支払いを受けた事実も認めず他にこれを認めるに足る証拠がない以上原判決認定の根拠となった中村の供述記載は信用し難いものといわなければならない。その他被告人会社が中村から利息を受領したことを認めるに足る如何なる証拠も存しない。

28.昭和四三年二月二五日の一四〇万円の支払

原判決は同日中村が大野に対し同日現在における被告人会社からの借入金残高二、〇〇〇万円に対する月七分の割合による一か月分(昭和四三年二月二五日から同年三月二四日まで)の利息一四〇万円を支払ったものと認定し、その証拠として中村の、その旨及び支払資金は谷口に依頼して調達したが後に調査したところ、同年二月二三日赤江農協の黒木正名義の普通預金から二〇〇万円の払出しがありその中から右利息の支払いをしたことを知った旨供述記載並びに証人谷口の右払戻金を実際に受取ったのは中村である旨の供述及び黒木正名義の貯金元帳の記載を挙げる。

しかしながら、符号六四の貯金通帳に明らかな如く被告人会社は昭和四三年二月二五日現在貯金残高は全くなかったのであるから中村はもちろん赤江農協からも利息の支払いを受けるべき理由はない。大野も支払いを受けた事実を認めず他に被告人会社が中村から利息を受領したことを認めるに足る如何なる証拠も存しない。

四、右「被告人会社らが受領した利息」についての原判決認定の不当性補充

以上が原判決の認める中村から大野に対する個々の利息の支払関係とその証拠及びこれを事実誤認とする理由であるが、原判決の認定には更に以下に述べる欠陥が存するのである。

1.原判決は、中村が大野に支払った金額中、月五分に相当する金額を被告人会社において取得したものと認定するのであるが、前記二の1において述べた如く、赤江農協又は中村の預貯金に関し原判決が認定する動きがあったとしても、それを大野及び被告人会社に対する利息の支払いとなすためには、その現金は大野や被告人会社の如何なる預貯金に入金されたのであるか、如何に処理されたのであるかについての証明がなされるべきものと思料するのであるがその証明は全くないのである。

2.次に利息という以上その金額、支払いの日時は当然元本の動きに伴うものであるところ、その元本の動きが前記二の4に記載した如くその返済について四、〇〇〇万円もの過払いが認められ、その誤りの由って来るところが判明せず確定されているものとは到底いえないのであるから、その確定されていない元本の動きを前提として利息の計算をしたとしてもその金額も又仮りのものたることを免れず到底犯罪事実として確定された金額たり得ないことはいうまでもない。

3.次に原判決は、利息の支払い関係については中村の供述記載を信用性十分となし主としてこれに拠って認定していること前記三のとおりであるが、同人の供述記載の信用性についてはなお次のとおり重大な疑いが存するのである。すなわち一件記録に明らかなように同人は宮崎市本郷南方において宅地を造成するため多数の者から融資を受け、その利息の支払いに窮していたかの如き供述をなしているが不動産登記簿謄本(記録三五二〇丁ないし三五三二丁)によると同人の内妻竹中ナツミは昭和四三年度において宮崎市大字恒久字柳籠において広大な土地を取得し現在に至っていること、高額所得者名簿(記録五五六九丁から五五九七丁まで)によれば遅くとも昭和五一年以来宮崎県における高額所得者の一人となっていることが認められ、又中村は和解調書(記録三四八八丁から三五〇二丁まで)によると昭和四三年に四回にわたって被告人岩切から二、九〇〇万円を借りながら(本件外のもの)この事実を否認したり、本件につき約八、二三三万円の利息の過払いありとなしその返済を請求したりしたが結局右借入れの否認及び利息過払いの主張を維持することができなかったことが認められるのであって、これらの点を合せ考えると中村は自己の資産を隠匿しながら恰も大野や被告人会社に支払ったものの如く供述していたのではなかろうかとの疑いを如何にしても拭いきれないのである。

又証人谷口の第六七回公判における供述によれば中村は被告人会社に利息を支払うためと称し谷口に金策を依頼したものの内から中清子に支払った分もあるという。(記録四八四五丁から四八五八丁)そうだとすれば中村が被告人会社からの借入金に対する利息として大野に支払ったと供述する多数回の金額のうちのいづれかが中清子に支払われたことになるわけであって、この点からも中村の供述記載に対する信用性はゆるがざるを得ず、結局同人の供述記載を基礎として認定された原判決は事実を誤認したものといわざるを得ないものと思料する。

第二節 簿外仮名預金による受け取利息の除外関係

原判決は、前記中村勇夫からの受取利息除外のほか、被告人会社が昭和四〇年一〇月一日より昭和四一年九月三〇日までの事業年度における受取利息中、山下桂子名義の預金に対する利息七〇一円、押川健治名義の預金に対する利息七円計七〇八円を、昭和四一年一〇月一日より同四二年九月三〇日までの事業年度における受取利息中、山下桂子名義の預金に対する利息二、二〇二円、押川健治名義の預金に対する利息七六五円計二、九六七円を受取りながらそれぞれの事業年度の所得から除外したものと認定する。

しかしながら、右はいづれも被告人会社の所得ではない。何故なれば、まず押川健治名義の預金は第四章第一節の四、五において述べるように同人は到底被告人岩切又は被告人会社の者とは認め難い者であり、従って同人なした預金も又被告人会社とは無関係のものであり、山下桂子名義の預金は第三章において述べる如くこれ又被告人会社の預金と認めることは相当でなく、従ってこれに対する利息を被告人会社の受取利息とはなし得ないものであるからである。

第三章 事実中簿外接待交際費の支出及び雑収入の除外関係

原判決は、被告人会社が、昭和四〇年一〇月一日より昭和四一年九月三〇日までの事業年度において簿外接待交際費三四万三、七〇〇円の支出及び雑収入三六万七、六一四円の計上を除外し、昭和四一年一〇月一日より昭和四二年九月三〇日までの事業年度において簿外接待交際費六一万二、七〇〇円の支出及び雑収入五五万七五七円の計上を除外していたものと認定する。

右簿外接待交際費の支出除外は認めるが雑収入を被告人会社の課税所得とすることは相当でないものと思料する。

何故なれば山下桂子名義の預金中には約束手形の延利、被告人会社の古品を売った代金等被告人会社の雑収入として計上すべきものが含まれていることも事実ではあるが、その外被告人岩切をはじめ被告人会社の社員ら個人所有の古衣料、古書籍その他生活用品を処分した代金も含まれており、それが被告人会社の古品処分代金等と区別し得ないからである。(被告人岩切の第六五回公判における供述記録四七七二丁、四七七三丁)原判決は仮りに右雑収入中に個人が出した廃品の売却代金が含まれているとしても、それは個人が所有権を放棄したものであるから被告人会社に帰属するというが右廃品というのは自らの使用を必要としなくなったというだけのことであって所有権を放棄したわけではないから原判決の認定は相当でない。

第四章 事実中架空仕入関係

次に原判決は、被告人会社において昭和四〇年一〇月一日から昭和四一年九月三〇日までの事業年度及び昭和四一年一〇月一日から昭和四二年九月三〇日までの事業年度において架空仕入の計上をなしたものと認定するが、これも又事実を誤認したものである。以下原判決認定の順序に従い誤認の理由を開陳する。

第一節 山田商事関係

原判決は、被告人会社が昭和四一年三月二四日から同年七月二七日までの間山田商事株式会社(以下山田商事という。)から二四回に亘り、平板、釘、パイプ等総額九〇八万四八六四円を仕入れ、その代金を小切手及び為替手形で決済支払いしたものとして公表帳簿に計上していることをもって、右仕入れは架空であり、その仕入代金の支払いも実際にはなかったものと認定し、その証拠として、山田商事もその代表取締役山田信吉もその領収書等に印刷されている大阪市西区西道頓堀四-七に存在しないこと、その電話として印刷されている五三八局二七四一番は山田商事と無関係の磯崎工業株式会社の加入電話であること等より山田商事もその代表取締役山田信吉なる者も存在しないものと認めざるを得ないこと、山田商事より為替手形の裏書譲渡を受けこれを現金化した押川健治なる者も自称の住所とする池田市石橋三の一二にいないこと、山田商事作成名義の仕入代金請求書の形式による各納品書はその日付どおりに作成されたものではなく一括して作成されたものであること、この納品書に対応する被告人会社の各買掛金振替伝票もまとめて作成されたものであること、池田銀行本店行員服部盛隆が被告人岩切を指し押川健治名義の預金を解約に現れた人物と非常によく似ている旨の証言をしていること、押川健治作成名義の普通預金請求書の署名が被告人岩切の筆跡によるものであるとの鑑定があること等より池田銀行本店において預金口座を解約して預金の払戻しを受けた押川健治なる人物は被告人岩切本人であったものと認めざるを得ないこと等の点を挙げる。

しかしながら、原判決の認定は右各証拠に対する合理的な判断を誤りひいては事実を誤認するに至ったものといわざるを得ない。その詳細は以下のとおりである。

一、山田商事がその請求書並びに為替手形の振出人欄に印刷されている大阪市西区西道頓堀に存在せず、その代表取締役山田信吉、並びに押川健治も右住所等に存在しないとの点については、証拠上同会社や同人らが同所等に見当らないことはこれを認めるが、それだからといってこの仕入れが架空であるとの結論に達するものではない。本件の仕入れは被告人岩切の、第五八回公判における供述(記録四一九五丁から四二二三丁まで)により明らかなように山田商事の社員小野義久と称する者が被告人会社に商品の売込みに来たので被告人岩切が面接、価格等を折衝して買い入れることとし、その後五回乃至一〇回に亘って同会社よりこれを持参したという経緯で仕入れたもので、被告人会社から山田商事に出向いて交渉したり、商品を受取りにいったものではない。結果として山田商事は自称の場所に見当らなかったわけであるが、それでは何故このようなことが起るのであろうか。一言にしていえばその商品が正常なルートを経て入手されたものではなく、倒産者からの引き上げ品又は工事の浮し資材等であったためその他の理由により山田商事やその関係者において売手の正体が明らかになることを好まなかったためと考えられるのであって、商品取引、特に建設資材、鋼材取引の実際において決して稀なことではない。

原判決は、被告人会社の公表帳簿に記載されている山田商事からの商品の仕入れが約四か月間に亘っていること、代金額も合計で九〇〇万円を超えていること、代金は現金ではなく小切手及び為替手形により三回にまとめて支払われたこととなっているがその支払日は取引の日より可成後日となっていること、山田商事なるものの所在を明らかにできないことによって課税上公表の仕入を否認される危険が予測されたのにその所在を確かめなかったことについて特段の事情も見当らない等の点により山田商事あるいは山田信吉なるものは実在するが所在を知ることができないだけである旨の被告人岩切及び弁護人らの弁解は受け容れ難いという。

しかしながら、仮りに被告人会社が山田商事に対し、前金を支払う等して商品引渡の請求権を取得していたものであれば格別、当初の契約により商品を持参後取立払いとなっていて債務を負担するだけであったから、その所在を確かめる必要はなかったものであって原判決の所論は理由がないものというべきである。

二、次に山田商事作成名義の仕入代金請求書の形式による各納品書には他の納品書の文字が写っておりその日付どおりに作成されたものではなく一括して作成されたものであるとの点については、かりに少数回にまとめて作成されたものであるとしても、被告人岩切の第五八回公判における供述(記録四二二四丁)によれば請求書は二回位にまとめて持ってきたとのことであるから、山田商事ではこれをまとめて作成し、その際日時に従って作成しなかったために右のようなことが発生したとも考えられるのであるから、これをもって右請求書は偽造されたものと断定することは間違いである。

三、次に右各納品書に対応する被告人会社の買掛金振替伝票は、他の仕入先からの四月より六月までの分には一連番号が付されているのに、これには付されていないことから七月以降に一括して作成されたものであるとの点については、買掛金振替伝票は請求書に基いて作成することになっているところ、この請求書は前記のとおり二回位にまとめて届けられたとのことであるから、振替伝票も七月以降にまとめて作成されたとして何ら異とするに足らない。

四、次に池田銀行本店服部盛隆が押川健治なる者は被告人と非常によく似ていると証言している点については、以下に述べるように到底措信し得ないものである。

1.まず同人は、昭和四一年九月八日三万円を預金した者と同年一〇月三日八一五万三、五八六円を解約した者は同一人であったと供述している。証言では「三万円の預金の際の取扱いも自分であり、その時に人の印象ははっきりしないが解約したのは前に預金に来たのと同一人物だと理解して解約に応じたと思う。」(同人に対する証人尋問調書記録六七〇丁)とあいまいな表現をしているが、大蔵事務官橋口俊一に対しては「九月八日三万円を預入れに押川健治という預金者本人が来た時の印象が残っていたため一〇月三日に払い戻しに来た時に預金者本人であることを確認して現金を払った」旨述べ(記録八八〇丁、八八一丁)、更に大阪国税局係官が池田銀行営業部次長を介し聴取したところによれば「池田銀行に来たのは何時も同一人であった、その他同伴者が外で待っている様子もなかった」と述べている。(嘱託調査の回報について、記録一〇〇五丁)

そうだとすれば八一五万三、五八六円の普通預金請求書に記載された押川健治の署名と三万円を預金した際本人が書いたという押川健治の署名(嘱託調査の回報について記録一〇〇一丁)は同一の筆跡でなければならない筈であるが、右二つの筆跡は一見して異なる筆跡であることが明らかである。すなわち三万円の預金者と八一五万円余の払戻請求者は明らかに別人であるにかかわらず、服部証人はこれを同一人物と証言するのである。

2.更に前記嘱託調査の回報について中の現金受渡表(記録一〇〇二丁)によれば、同日窓口にいた服部証人が出納方から受領した支払基金は五回に亘り合計三、一六一万五、二八六円であって、服部証言では本件八一五万円余の払戻しは五番目に記載されている二、四二二万円余の中からなされたこととなっている。そうだとすれば八一五万円余の払戻しは同日午後になされた疑いが強いのであるが、同証人はこの点を指摘されると受渡表の記載は必ずしも現実の受渡しの順序に従って記載されているとは限らない旨供述し、これを払戻したのは午前中であり、そのように思うのは「東側からの光が強かったという気がするからである。」(記録六六七丁、六六八丁)というのである。しかしながら、受渡表の記載が何故に必ずしも現実の受渡しの順序に従うとは限らないかについて首肯するに足る説明がないばかりか、七年前に経験した事実について、「東側からの光が強かった」などということを記憶しておられるものかどうか経験則に照し到底信用のできない証言といわなければならない。

3.のみならず同証人は証言に先立ち、尋問の行われた大阪地方裁判所において、立会検察官から被告人岩切を押川健治として指示された疑いがある。(第一六回公判における被告人岩切の供述(記録二六四丁、二六五丁))およそ、証人らが捜査官らの暗示により、別人を自分が目撃した犯人と供述することは決して珍らしいことではない。これを例えばいわゆる清水局事件(弁論要旨添付の資料一最高判例六巻四号記録五一八〇丁から五一八六丁まで)において、真犯人と三回に亘って面接し印判の注文を受け、これを交付した印判店の主人と店員が共に別人を真犯人たる印判の注文者であると証言し、この者らの証言が誤判の重要な証拠となっている。(右判例集に東京高等裁判所が有罪判決の証拠としてその供述を挙げている証人近藤正夫、同吉田常吉とあるのがそれである記録五一八六丁。)

後日最高検察庁が「起訴後真犯人が現れた事件の検討」を行った際、この事件の主査となった熊沢孝平検事は「印判店の主人及び雇人の供述は真実を述べず、捜査官に迎合したらしく思われ、誠に不都合である。いつもいうことであるが、かような関係人は調べようで如何ようにもなるものである。」と指摘している(岩波新書後藤昌次郎著寃罪四五頁)ように、本件においても服部証人は当時立会検察官から被告人岩切を押川健治として指示され検察官に迎合して右の如く証言したのではないかとの疑いも存するのである。

五、次に押川健治作成名義の普通預金請求書の署名が被告人岩切の筆跡と同一であるとする甲斐則一作成の鑑定書(記録八六七丁以下)は以下に述べるように証拠価値のないものである。

1.まず同人の鑑定は被検文書である「押川健治」の文字と資料二乃至八の文字との間に「共通した特徴点」が見られることを主たる根拠としているのであるが、「特徴点」とするためには、かかる筆跡は他に例の極めて少いものであることを証明しなければならない。これを例えばまず被検文書と資料の中にある筆跡の字面構成の相似点と相異点を分析し、判定の基準となる固有の筆癖があるかどうかを調べ、次にその筆癖がその個人特有のものであるかどうかを与えられた資料以外の資料によって証明してはじめて特徴ある筆跡といえるのである。(稀少性。弁論要旨添付の資料二記録五一八七丁)しかるに甲斐鑑定書は何らこのような証明に基づかず、単なる自己の主観により特徴ありとなすのである。

2.次に被検文書の筆跡と比較される資料中の筆跡に現れる筆癖は偶然によるものでなく常に現れるものである(常同性)かどうかを調べ、被検文書と資料に稀少性、常同性ある筆跡を発見してはじめて同筆の結論を出すべきものであるにかかわらず、甲斐鑑定書はこの点について何らの考慮も払っていない。稀少性の有無の検討を別としてもこれを例えば被検文書中「健」のうちの「」と資料を対比するに際してはまず資料五、同六の「通」の「」と資料二の二のうちの「迄」の「」を対比し常同性を認めてはじめて健のそれと対比すべきものであるにかかわらず、何らこれをなすことなく単に資料五、六の「通」の「」とのみ比べ、略し方の形態、始筆部の入筆方向、位置、曲線の形態等に共通した特徴点があると断定するのである。しかしながら資料二の二の「迄」の「」は一見被検文書の「健」の「」と異なることはもちろん資料五、同六の「通」の「」とは異る筆跡である。かかる場合鑑定人としてはまず資料中に常同性ある筆跡なしとして被検文書との比較を避けるか、そうでなければ少くとも資料中二の二の「迄」の「」とは同一性が認められないことを付記しておくべきものと考えるのであるが、何らこれをなしていないこと前記のとおりである。同様に甲斐鑑定書は、被検文書のうちの「健」の「」と資料を対比するに際し資料三の「代」同四の「代」の「」だけをとりあげ同七の「代」を除外し、被検文書のうち「治」の「口」と資料を対比するに際し、資料二の一の「拾」、同三の「拾」、同八の四の「拾」同五の「昭」の各「口」だけをとりあげ、同二の二の「岩」同三の「岩」、同四の「岩」、同五の「和」、「岩」、同五の「宮」、「岩」、同七の「宮」、「岩切」同八の一の「岩」、同八の二の「拾」、「岩」、同八の三の「岩」、同八の四の「岩」の各「口」を除外し、被検文書のうち「押」の「甲」との異同を検討すべきものとして資料二の一、同八の二、同八の三、同八の四の各「野」の「里」があるにかかわらず、これを除外しながら、被検文書の筆跡と資料の筆跡の間に共通の特徴点ありとなすのであって筆跡鑑定の原則を無視するも甚だしいものといわなければならない。同鑑定人はこれらを除外した理由について、気付かなかった(資料二の二の「迄」)とか(記録八五〇丁)、これのみは楷書で書かれていた(資料七の「代」とか(記録八四五丁)、何故か分らない(資料中「岩」「宮」「和」等)(記録八五五丁、八五六丁)などというが、いやしくも筆跡の鑑定人たる者がそんな不注意を犯す筈はない。これは除外した資料中の筆跡が明らかに被検文書の筆跡と異なっており、これを同筆と結論するために支障があったため故意に除外したのである。換言すれば、はじめから同筆の結論を出し、その結論を、尤もらしいものに見せかけるために被検文書中の筆跡に類似した筆跡だけを資料中から選んで対比させたため、大量の除外資料が出たのである。甲斐鑑定書はこの一点からみてももはや鑑定の名に値しない無価値なものであることが分るが、更に鑑定内容を見ると次のように一層そのことが明らかになる。

3.同鑑定書が被検文書と資料との間に共通した特徴点ありと指摘するものも注意して観察すると同鑑定人の独断であることが判明する。すなわち

(一) 被検文書中の「川」と資料二の一の「川」二字について同鑑定書は「第一画の入筆方向、長さ、画線の湾曲、第二画への移筆の形態、第二画の長さ、第三画への移筆の形態、第三画の始筆部の形態、画線の長さ、終筆部の形態等々共通した特徴点が認められる。」となすが(記録八六九丁)、田北勲鑑定書(別綴第七冊)が指摘するように被検文書の「川」と資料の「川」の間には入筆方向、運筆の流れ、終筆部における筆圧の有無等に明らかな相違があり(なお田北勲に対する証人尋問調書、記録五三五四丁から五三五七丁まで)、

(二) 被検文書中の「押」の「」と資料二の一、同三、同八の二、同八の四の「捨」の「」についても甲斐鑑定書は、種々の要素をあげ、両者に共通の特徴点ありと指摘するが(記録八六九丁)、これも田北鑑定書が指摘するように被検文書の「押」にあっては二筆目より三筆目への運筆は左上方に向っているのに対し、資料の「捨」はいずれも左に水平に運ばれていて明らかに異るにかかわらず(なお記録四三四六丁から四三四八丁まで)、甲斐鑑定書は「第三画始筆部の入筆方向ならびにその位置、第三画送筆線の方向、角度、位置等が共通であるとなし(記録八六九丁)、

(三) 被検文書中「健」の「」と資料三、同四の「代」の「」についても甲斐鑑定書は、第一画の長さ、角度、第二画始筆部の位置等に相似点が認められると指摘するが(記録八七〇丁)、田北鑑定書に見られるように第一画の入筆方向、画線の湾曲の有無、第二画の打ち込み角度、湾曲の有無等明らかに異なっており(なお記録四三五八丁から四三六二丁まで)、

(四) 被検文書中「健」の「」と資料五、同六の「通」の「」について、甲斐鑑定書は、連続して一筆に書写する略し方の形態、始筆部の入筆方向、位置、曲線の形態、終筆部の一度押えたあと流れる形態等共通した特徴点が見られるとなす(記録八七〇丁)が田北鑑定書も指摘するように始筆部の入筆方向、湾曲度、終筆部の方向は明らかに相違しており、又終筆部の一度押えたあと流れる形態は資料六の「」にのみ見られるのであって被検文書には認められないところであり、(なお記録四三六二丁から四三六五丁まで)、

(五) 被検文書中「治」の「口」と資料二の一、同三、同八の四の「捨」の「口」、資料五の「昭」の「口」について甲斐鑑定書は略し方の形態、第一画の入筆方向、第二画と第三画を連続して書写する形態には共通した特徴点がみられるとなすが(記録八七〇丁)、略し方の形態がどのように共通しているというのであろうか、これを例えば被検文書の「治」の「口」と資料二の一の「拾」の「口」は明らかに異る形態である。又第二画と第三画を連続して書写する形態が同じであるというがそのようなことが一体特徴といえるものであろうか、被検文書と資料との間にこれ程相違する筆跡がないのにかかわらず甲斐鑑定書はこれに共通した特徴ありとなすのである。

以上のとおり甲斐鑑定書は実証に基づくことなく唯抽象的な文言を羅列の上共通の特徴点ありとなしたうえ、被検文書と資料を同筆と断ずるものであって到底信用に値するものではない。

4.原判決は、甲斐則一の鑑定は鑑定経過等その内容の上で田北の鑑定に比べて特に劣るものではなく服部盛隆の証言によっても支えられることに照せば田北の鑑定より甲斐則一の鑑定に従うのが相当であるというが、甲斐鑑定人の鑑定方法は前述の如く予め同筆との結論を出しこの結論を理由あらしめたるために都合のよい筆跡を資料中から選択して被検文書と対照したとさえ思われるのであって、鑑定の名に値しないものであるのに反し田北鑑定人は被検文書と資料を誠実に対照検討した結果異筆との結論に達したものであって信用性において欠けるところはない。

5.およそ裁判において、被検文書と資料の筆跡を同一とする鑑定ほど誤判の原因を招いているものはないというべきである。これを例えば前記清水局事件において、高名な筆跡鑑定人である町田欣一、同高村巌、同遠藤恒 の三名共別人の筆跡を被告人の筆跡であると鑑定し、前記印判店の主人、店員の誤れる証言と相俟って誤判の原因をなしているのである。(記録五一八六丁)このように筆跡鑑定が間違うのは、いうまでもなく稀少性、常同性に考慮を払うことなく専ら相似性だけを求めるからであり、甲斐鑑定人の鑑定方法も亦之と軌を一にしているものであって、極めて非科学的且つ危険な方法といわなければならない。

六、以上述べ来った如く原判決の認定はいずれも理由がないのに反し、被告人会社が山田商事より仕入れた鉄鋼製品には現金売りの数件を除きすべてこれを得意先に販売した裏付けがある(弁論要旨添付の資料三記録五一八八丁から五一九四丁まで)のであって、そのことはこの製品が実際に仕入られたことの何よりの証拠である。原判決は販売された製品が山田商事から仕入れたものであることを肯定し得る証拠がないというがそんなことはない。同種同量の製品を他からも仕入れた事実を見出し得ないことがその証拠である。以上の次第により被告人会社の公表帳簿には何らの偽りもないことが明白であるのにこれを架空仕入れと認定した原判決は事実を誤認したものというべきである。

第二節 田中直人ほか一一名からの仕入れ総論

一、原判決は、被告人会社が昭和四一年一〇月一日から昭和四二年九月三〇日までの事業年度において、田中直人ほか一一名より合計一、七九五万一、六九二円の鋼材の仕入れを公表帳簿に計上していることをもって、架空仕入の計上となし、その共通の証拠としてまず仕入先とされている者が証拠によって認められる住所に実在せずその存在自体把握しようのないものであること、そのうち仕入先とされている田中直人、富田精次、藤田吾一、岡村覚二、金森七郎からの被告人会社宛の各請求書、領収証用紙はいずれも市販のものであり、かつ三文判が押捺されていること、それらのうち藤田吾一作成名義の各請求書及び領収証は当時被告人会社の従業員であった滝口由子が作成し、岡村覚二作成名義の各請求書及び領収証は当時被告人会社の従業員であった布施和子が作成したものと認められること、一方その余の現金仕入先とされている泉幸生、北野道夫、坂田年夫、白木明年、杉原保、菅原成吉及び立山国夫なる者からの被告人会社宛の各領収証は、すべて市販の同じ製造元による同じ規格の用紙を用い領収者の押印も三文判を押捺して作成されたものであること、更に掛仕入とされている右田中直人ら五名からの仕入れは昭和四二年八月及び同年九月中になされたことになっているところ、被告人会社には同年八月及び九月分の買掛金月報がそれぞれ二つありその一つ(符号一一〇)の八月分の月報には岡村覚二と金森七郎からの各仕入れが追加記入されたうえでいずれも抹消されており、田中直人、富岡精次及び藤田吾一からの仕入れが全く記載されていないのに他の一つ(符号一一八)の八月分の月報には右五名からの仕入れが記載されていること、また右符号一一〇の九月分の月報には他の仕入商店欄の行間に田中直人、富岡精次及び藤田吾一からの仕入れが鉛筆書きでそう入されているのに対し符号一一八の九月分の月報にはそのまま記載されていることより右田中直人ら五名を仕入先とする仕入れに関して買掛金月報に工作を施した形跡が認められる等の点を挙げる。

二、しかしながら、原判決の指摘は次に述べる如く山田商事関係同様、証拠に対する合理的な判断を誤っているものであって、いずれも理由がない。

1.まず田中直人ほか一一名がその請求書、領収書記載の住所に居住しないとの点については、証拠上その住所に見当らないことはこれを認めるが、これは山田商事の場合と同様相手方に出向いて仕入れをなし、出向いて代金を支払ったのではなく、仕入れも代金の支払いもすべて被告人会社においてなしたという事情にあるため、相手の自称する住所氏名をそのまま信用して処理し、且つ相手において山田商事の場合と同様その商品が正常ルートを経て入手したものではなく、倒産者からの引き上げ品、工事の浮し資材等であったため、その他の理由により売手の正体を明らかにすることを好まず仮名を使用したものと認められることから発生したことであってこれをもって直ちに架空仕入れとなすことは誤りである。

2.次に請求書や領収証用紙はすべて市販の用紙を使用し三文判が押捺されているとの点については、これらの者らは鋼材を継続的に販売している業者ではなく、倒産者からの引き上げ品又は工事の浮し資材等を一時的に取得した者と推測できる者らであるから、市販の請求書や領収証、有り合せの認印を用いることはこれ又当然のことといわなければならない。

3.次に昭和四二年八月及び九月分の買掛金月報が二通(符号一一〇及び符号一一八)存在し符号一一〇の月報には田中直人ら五名からの買掛けが記入されたうえ抹消されたり、他の仕入商店の行間にそう入されているだけであるのに符号一一八の月報にはそれが記載されているとの点については、被告人岩切が第六二回公判で供述しているように、被告人会社の決算は九月末日であるため、早めに一応の試算表を作成し、その後に仕入れたものはこれにつけ加え別途作成することとしているため、二通の月報ができたのであって(記録四六二一丁から四六二七丁まで)、そのことは後で作成された符号一一八の月報には検察官も正規の仕入れとして認める東芝フェンス、光洋機械からの仕入分が新たにつけ加えられていることによっても明らかであり、これを作成した菊木昭子も検察官に対し符号一一〇の月報は正規のものではなく、符号一一八の月報が正規のものである旨供述しており(記録一三〇五丁から一三〇九丁まで)決して九月分までを締めた後、遡って新たにつけ加えたものではない。

4.次に被告人会社の女子事務員の中に右藤田吾一、岡村覚二名義の請求書や領収証を書いた者がいるとの点について、布施和子は検察官に対し岡村覚二名義の請求書、領収証は私が書いた、小切手の裏書人として書いてある岡村覚二の署名も私が書いた旨の供述をしているが、同人は、請求書は菊木に頼まれて書いたもの領収証は誰かに頼まれて書いたもの(記録一三二九丁、一三三〇丁)、小切手の裏書も領収証を書いた時に自分が書いたものと思うが誰に頼まれどんな理由で書いたか思い出せない「ひょっとするとお客さんに頼まれたのかも知れません。」といっているのであり(記録一三三二丁から一三三四丁まで)、又、滝口由子も検察官に対し「藤田吾一の領収証は私が書いた旨供述するが、同人はどんな時書いたのか思い出せないと供述しているのであって(記録一三二四丁、一三二五丁)、共に被告人岩切の供述するように商品の売主が代金を受領しに来た際、直接あるいは被告人岩切を介し、事務員に依頼して書いて貰ったことがある旨(記録三八〇三丁、なお控訴審においても立証する。)の事実を裏付けこそすれ、何ら異とするに足らない。

第三節 田中直人関係

原判決は被告人会社の仕入帳中、田中直人分の口座に、同人から昭和四二年八月三一日、同年九月五日及び同月一五日の三回にわたり合計二七二万四、六五九円の鋼材を仕入れたことが計上されていることをもって架空仕入の計上と認定し、その理由として前記第二節の一記載の諸点に加え次の点を挙げる。

一、田中直人からの仕入れ鋼材中、富岡精次からの仕入鋼材と重複するものがあるとの点について

1.原判決は被告人会社の仕入帳中、田中直人の口座の昭和四二年九月五日の欄に品名九×四・五、本数二七九八、重量六、二九八、単価三六、金額二二六、六五六とする仕入の記載があり、他方右仕入帳の富岡精次の口座の同月四日の欄にも同品名、同数量、同金額の鋼材を仕入れた旨の記載があること、右両名の各欄の末尾にいずれも山本あるいは山本組の記載があること、被告人会社の日南小林方面売掛帳の山本組分口座に同年九月一九日右田中直人及び富岡精次からの仕入れと品名、本数、重量が全く一致する九×四・五、二、七九八本、六、二九六キロを単価三七、金額二三二、九五二で売った旨の記載があって、これらの帳簿の記載によれば田中直人および富岡精次から買った商品のいずれもが右山本組に転売されたかのように見受けられるが山本組では右鋼材について二度にわたって被告人会社から仕入れたことはなく返品もしていないというのであって被告人会社の田中直人および富岡精次の口座の記載は不可解であるという。

2.なるほど外形的にあらわれた事実について見る限るでは原判決の見解のように受けとられるかも知れない。しかしながら、右は被告人岩切が第六〇回公判において供述するように田中直人又は富岡精次の何れかから仕入れた鋼材を山本組に持参したが、クレームがついたので全部を持ち帰り、改めて富岡精次又は田中直人の何れかから仕入れた鋼材を山本組に持参し納品した(記録四四九五丁、四四九六丁)ために右のような記載になったもので決して虚偽のものではない。

原判決では、更に二、七九八本の鋼材を全部とりかえたというのは不自然であるというが、この鋼材はその重量からみて一台の車で運搬したものと認められるので、不良品が多少でも混入しているときはそのまま持ち帰るのがむしろ自然と考えられるのであって、何ら被告人岩切の弁解の真実性を疑わしめるものではない。

原判決は又右田中からの仕入れに対しては、そのすべてについて昭和四二年一二月三〇日に仕入代金の内金一〇〇万円を支払い、昭和四三年二月一五日になってから残余につき返品処理をしたこととなっており、このことと右弁護人らの主張との間に矛盾があるという。

原判決のいわんとするところは、右田中からの仕入品は後日返品処理を要する程の不良品であったのに内金一〇〇万円を支払ったことは不合理であるというにあると思料される。しかし右田中からの仕入れは総額二七二万余円であり不良品があったとしてもそのうちの極く一部であったのであるから必ずしも全部について返品する必要はなかったのであるが被告人岩切が第六四回公判で供述する(記録四七〇六丁)ように代金の減額等支払条件について合意に達しなかったため返品することにしたものであって決して矛盾ではない。

3.原判決は、後記の如く富岡精次からの仕入れをも架空とするので結局山本組に売られた鋼材は田中直人、富岡精次のいずれからも仕入れた鋼材ではないというに帰するわけであるがそれでは被告人会社では山本組に売られた鋼材を一体どのようにして入手したというのであろうか。原判決としては山本組に売られた鋼材について、真実の入手先を明らかにするのでなければ、田中直人、富岡精次からの仕入れを架空と認定するをえないものと考えるのであるが、本件においては何らそれについての認定はなされていないのである。

二、田中直人からの仕入鋼材中、日商からの仕入れ鋼材と重複するものがあるとの点について

1.原判決は、被告人会社の仕入帳中、田中直人の口座の昭和四二年九月一五日の欄に品名一九×七・〇、本数七六、重量一、一八六との記載及び転売先として記載したとみられる「多田他」という鉛筆書きがあること、これと納品伝票No.三五、七六四及び売掛帳の多田工務店の口座の各記載によると右十九×七・〇の仕入商品は同年九月二五日多田工務店に転売されたことになるところ、他方右仕入帳の日商の口座のうち、同月一九日の仕入部分には右と同じ商品名一九×七・〇、本数七六、重量一、一八六という記載があり、これと内海到着明細の東邦丸、八興、九月一八日の日商(株)分の記録によると実際は右日商から仕入れた商品名一九×七・〇の七六本が前記納品伝票三五、七六四で多田工務店に売られたものと認められるのであって、前記田中直人の口座の右商品の仕入れについての記載も不可解であるという。

2.しかしながら、原判決引用の内海到着明細の記載部分によれば9/19の上に第三と記載され、9/19の下方に76の数字が別記されている。この記載からすれば日商から内海に到着した鋼材のうち、この七六本だけは第三倉庫に運ばれたものであって多田工務店に売られたものではないことが明らかである。又、多田工務店に対する納品伝票No.三五、七一九はこの時日商から内海に到着した鋼材の納品伝票ではあるけれども、これにこの七六本だけが記載されていないことは内海到着明細の右記載の裏付けとなるものであり、結局No.三五、七六四の納品伝票で同日多田工務店に売られた一九×七〇、七六本は田中直人から仕入れた商品とするのが合理的であるといわなければならない。

第四節 富岡精次関係

原判決は被告人会社の仕入帳中、富岡精次の口座に、同人から昭和四二年八月二五日、同年九月四日、同月一一日及び同月一六日の四回合計四七一万七、九五四円の鋼材を仕入れたことが計上されていることをもって架空仕入の計上と認定し、その理由として前記第二節の一記載の諸点に加え次の点を挙げる。

一、富岡精次からの仕入鋼材中、三菱商事からの仕入鋼材と重複するものがあるとの点について、

1.原判決は、被告人会社の仕入帳の三菱商事の口座によると、被告人会社は昭和四二年八月一六日三菱商事から他の商品と共に品名一三×七・五、六〇〇本、一三×八・〇、六〇〇本、一三×六・五、六〇〇本を仕入れているところ内海到着明細に三菱商事より到着した鋼材の明細が記載され、これにそのうちの一三×六・五、六〇〇本中一〇〇本、一三×七・五、六〇〇本中五〇〇本、一三×八・〇、六〇〇本中二〇〇本はNo.三一、八九五の納品書で重永運転手により志多組清武現場に納品されており被告人会社の熊谷組、志多組に対する売掛帳中志多組の口座にもその旨の記載があるところ、他方仕入帳の富岡精次の口座にもその旨の記載があるところ、他方仕入帳の富岡精次の口座によると昭和四二年八月二五日の仕入中に同人から品名一三×六・五を一〇〇本、一三×七・五を五〇〇本、一三×八・〇を二〇〇本仕入れた旨の記載があり、その末尾に鉛筆書きでこれらを志多組に売った趣旨の記載がある。しかしながら志多組では被告人会社から前記の鋼材を仕入れて清武の現場に使ったのは一度しかなく返品したこともないことが認められこのことと内海到着明細の記載を併せ考えれば右鋼材の実際の仕入先は三菱商事であり富岡精次からの仕入れの記載は不可解であるという。

2.しかしながら、志多組に売られた鋼材は富岡精次から仕入れたものであって三菱商事から仕入れたものではない。なるほど志多組に売られた鋼材はNo.三一、八九五の納品伝票により重永運転手が清武中学現場に運搬したものとしても、それは三菱商事から仕入れた鋼材ではない。そのことは仕入帳中富岡精次の当該仕入欄に志多組と売主が記載されていること、三菱商事の口座の八・一六日欄の備考欄には鉛筆をもって第三倉庫と記載されていること、志多組清武現場に運ばれた鋼材が三菱商事仕入れ内海に到着した鋼材とすればNo.三一、八九五の納品伝票に内海直送と記載されるべきところその記載がないこと等により明らかである。

原判決は、内海到着明細をもって真実の取引を記載したものであるというが、必ずしもそうではない。何故なれば内海到着明細は、川崎ミサも第二六回公判において証言するとおり、宮崎市内大塚町所在の被告人会社倉庫に勤務する同人が後日夜間に被告人会社本店に赴き、納品伝票の控をくって、内海到着明細の鋼材と同規格のものがあるときは、これを内海の到着した鋼材と考え、その納品伝票のNo.や運転手名を転記していたものに過ぎず、自ら内海に赴き、納品伝票を確認の上記入したものではないからである。

(記録一八二一丁、一八二二丁、一八三三丁、一八四〇丁)

二、富岡精次からの仕入鋼材中田中直人からの仕入鋼材と重複するものであるとの点について

これについては前記第三節の一の2において述べたとおり田中直人又は富岡精次の何れかから仕入れた鋼材を山本組に持参したが、一部不良品があったので富岡精次又は田中直人の何れかから仕入れた鋼材ととりかえ納品したものであって決して架空仕入れの計上ではない。

第五節 藤田吾一及び岡村覚二関係

原判決は被告人会社の仕入帳中、藤田吾一の口座に、同人から昭和四二年八月二九日、九月三日及び同月一一日の三回に亘り合計二三七万三、三八一円の鋼材を仕入れたことが計上されていること、又岡村覚二の口座に同人から同年四二年八月三一日合計二〇八万六、〇八〇円の鋼材を仕入れたことが計上されていることをもって、架空仕入の計上と認定し、その理由として前記第二節の一記載の諸点に加え次の点を挙げる。

一、藤田吾一、岡村覚二からの仕入鋼材中相互に重複するものがあり且つ日商からの仕入鋼材とも重複するものがあるとの点について

1.原判決は、被告人会社の仕入帳中、右藤田の口座の昭和四二年八月二九日の欄、右岡村の口座の同月三一日の欄、売上伝票綴、熊谷組、志多組売掛帳の昭和四二年九月五日の欄及び同月一六日の欄によると、被告人会社では同年八月三一日右岡村から仕入れた鋼材五、六八七キロをNo.三三、三八七、三三、三八八の納品伝票をもって志多組に納品したがその後No.三四、七四六の納品伝票で返品扱いとし、新たに右藤田から同月二九日仕入れていた同一品名、同一数量の鋼材をNo.三四、七四七、三四、七四八の納品伝票で再び志多組に納品したことになっているが、次に説示するとおり志多組に納品された鋼材の仕入先は、実は右藤田でも右岡村でもなく、日商であり且つ志多組がいったん被告人会社から納品された鋼材を返品した事実もないという。すなわち、まず志多組の注文書、東海鋼業検査課長作成の規格証明書、被告人会社の志多組に対する売掛帳等によると志多組は青島電通保養所工事に使用する右鋼材を被告人会社に注文し、これを受注した被告人会社は右鋼材を日商に発注し、日商ではそれを東海鋼業に製造させて、このような経過で用意された右鋼材が被告人会社から志多組に納品されたものと認められる。ところで右注文書によると志多組が右鋼材を被告人会社に注文した際の日付は昭和四二年八月二二日となっており、右鋼材についての右規格証明書に記載されている検査年月日は同年八月一三日と同日二五日になっているのに内海到着明細によれば被告人会社が日商から仕入れた右鋼材が内海港に到着したのは同年七月十八日と同年七月一六日のことであったと認められるのであって右各日付の間に矛盾があるが、被告人会社が日商から仕入れた東海鋼業製造の鋼材が志多組に納品された事実は動かし得ないところであるという。

2.しかしながら原判決の認定は間違っている。志多組から被告人会社への注文書の日付八月二二日を単なる発行日と解し実際にはもっと以前に注文があったものとしても原判決が志多組に納品されたものと認定する鋼材の日商からの被告人会社の仕入状況を見ると仕入帳(符号三四)では昭和四二年七月一九日および同年八月一六日となっており、内海到着明細によれば、これが内海港に到着したのは同年七月一八日及び八月一六日となっている。ところが東海鋼業の証明書によれば、検査日(デート・オヴ・インスペクション)は直径一三ミリのものは八月二五日および九月四日、同一六ミリ、同一九ミリのものは八月一三日、同二二ミリのものは八月二五日となっているところ、仕入帳の日商の口座及び内海到着明細によると内海港に直径一三ミリの鋼材が到着したのは七月一八日及び八月一六日、直径一六ミリ及び一九ミリの鋼材が到着したのは七月一八日、直径二二ミリの鋼材が到着したのは八月一六日となっていて何れも検査日よりも前となっている。しかしながらそのようなことがあり得る筈はない。

これを要するに志多組に売られた鋼材には証明書がつけられていたことは認めるが、それが原判決が認定した経過で仕入れられた鋼材ではないことが明らかであり、この鋼材が日商から仕入れられた鋼材であることの証明も存しないというべきである。

原判決は更に志多組では返品したことがないといっているというが被告人会社では一旦納品した普通丸鋼を引き上げ異型丸鋼と取りかえたものであるから志多組では返品扱いとしいないこと当然である。

原判決は又志多組では十三×四・〇、十六×四・〇、十九×四・〇の鋼材を注文したが東海鋼業ではそれぞれ十三×八・五、十六×八・五、十九×八・五で代用しているところ、仕入帳の岡村および藤田分口座をみると代用された品名、数量がそのまま記載されているというが、これは被告人岩切が第六一回公判において供述するように、被告人会社では十三×四・〇、十六×四・〇、十九×四・〇ができないことは予め分っており、(記録四五五一丁、四五五二丁)偶々藤田吾一が売りに来た鋼材の中に志多組より受けていた注文の鋼材を充足できるものがあったので少量買い受けたという事情によるものであって何ら異とするに足らない。

3.本件は、被告人岩切が第五九回公判で供述するように、被告人会社では最初岡村から仕入れた普通鋼材を志多組に納品したが志多組の注文が異型丸鋼であったため、藤田吾一から仕入れた異型丸鋼ととりかえ志多組に納品したものである(記録四二八四丁から四二八六丁まで)。そのことは岡村から仕入れた鋼材と藤田から仕入れた鋼材が同品名、同数量でありながらその重量は鋼材毎に異り総重量において、一方が五、六八七キロである(符号三四の仕入帳中岡村覚二分の8月三一日の欄)のに対し、他方が五、七四二キロとなっている(同仕入帳中藤田吾一分の八月二九日の欄)ことによっても認められるところであって、被告人会社の公表帳簿には何らいつわりはない。

二、岡村覚二からの仕入分中光洋商事からの仕入分の重複するものがあるとの点について

1.原判決は、被告人会社の仕入帳中、光洋商事の口座の昭和四二年九月二日及び三日の欄に品名三×四〇×六〇を四五〇本、同じく品名三×四〇×六〇を二二四本それぞれ仕入れた旨の記載があり、被告人会社の売掛帳中長友農機の口座の九月三日の欄によると右商品は一八〇本と四九四本に分けて被告人会社から長友農機に売られたことが認められるが、他方右仕入帳の岡村覚二の口座の同年八月三一日の欄によると被告人会社は右岡村から同日光洋商事から仕入れた品名と同じ鋼材四九四本を仕入れて長友農機に売ったことになっており光洋商事からの仕入分と一部重複している記帳が認められる。しかし、次に説示するとおり長友農機に売られた鋼材は光洋商事からの仕入分であって右岡村から仕入れたとされる鋼材が長友農機に売られた事実はないとなし、その根拠として、第一に仕入帳の光洋商事の口座の昭和四二年九月二日及び同月三日の右商品記載の備考欄に長友農機等の記載があって右商品が長友農機に売られたことを示していると、第二に同欄に記載しある合計三一八、八〇二の数字は売掛帳の長友農機の口座の九月三日の欄のうち品名三×四〇×六〇、六七四本の代金合計額三一万八、八〇二円と一致していること、第三に光洋商事からの仕入の記載のうち九月三日、三×四〇×六〇、二二四本の部分の二二四本について内海到着明細では誤って「二二五本」と記載したため長友農機に対する右鋼材の納品書には当初「四九五本」と記載されていたがその為その本数を四九四本と訂正されていること、第四に長友農機では被告人会社から品名三×四〇×六〇の鋼材を同数量重複して仕入れたことはなく右の仕入鋼材を返品したこともないことが窺えること等の点を挙げる。

2.本件は外形的にみる限り原判決認定の如く判断されるかも知れないが、事実はそうではない。これは被告人岩切が第六一回公判で供述するように、岡村から仕入れた鋼材を長友農機に持参したが、クレームがついたため光洋商事から仕入れたものと取りかえたためこのような記載になったものであって(記録四五七四丁、四五七五丁)、そのことは被告人会社の専務山口重明の検察官に対する昭和四五年一一月九日付供述調書(記録一五四五丁)によっても明らかであり、決して架空仕入を計上したものではない。

原判決は、仕入帳の光洋商事分口座の九月二日欄の鉛筆書きメモの金額二一二、八五〇円に一〇五、九五二円を加えた金額と売掛帳の長友農機分口座に記載してある金額八五、一四〇円に二三三、六六二円を加えた金額は共に三一八、八〇二円となるところから、長友農機に売られた鋼材は光洋商事より仕入れたものであるというが、前記のように被告人岩切はこれを否認しているわけではないし、仕入帳の記載の金額は、仕入れ帳の記載に従い一本当りの売り単価を四七三円として計算した金額、売掛帳は納品書に従い一本当り売り単価を同じく四七三円として計算した金額がそれぞれ記載されているのであるから、これが合致するのは当然である。

原判決は又No.三三、一八九の納品伝票に当初四九五本と記載されていたものが後で四九四本と訂正されているのは最初内海到着明細が二二四本を二二五本と誤ったためであるかの如く認定するが事実は反対であって、これははじめ納品伝票の記載が誤ったため、これを写した内海到着明細も誤り、後日納品伝票が訂正されたにかかわらず内海到着明細はそのままになっていることを示すもので(第六四回公判における被告人岩切の供述記録四七一五丁、四七一六丁)内海到着明細をもって真実の取引を記載したものとなす原判決の見解は誤れる予断に基くものであって間違いである。

第六節 金森七郎関係

原判決は被告人会社の仕入帳中、金森七郎の口座に、同人から昭和四二年八月三一日合計三六五万三、三三六円の鋼材を仕入れたことが計上されていることをもって、架空仕入の計上と認定し、その理由として前記第二節の一の諸点に加え、次の点を挙げる。

一、原判決は、被告人会社の仕入帳の中山商事の口座のうち、昭和四二年八月六日の欄に品名九×六・五、四、五〇〇本、同九×五・五、六、〇〇〇本の鋼材を仕入れた旨記載されており、又同月二四日の欄には品名九×六・〇、七、五〇〇本の鋼材を仕入れた旨の記載がありこれに内海到着明細、No.三二、三八〇の納品伝票、売掛帳中河野建設の口座の同年八月二七日の欄を総合すると右九×六・〇、七、五〇〇本中一、七四〇本、九×六・五、四、五〇〇本中五〇〇本、九×五・五、六、〇〇〇本中二〇〇本はNo.三二、三八〇の納品伝票により河野建設に売られていることが認められるが、他方右仕入帳の金森七郎の口座には、被告人会社は同年八月三一日右金森なる者から右河野建設に納入したものと同品名、同数量、同重量の鋼材を仕入れたうえ、これらを河野建設に納入した旨記載されている。しかし河野建設では被告人会社が金森七郎から仕入れたとされる日よりも前の同年八月二七日には既に右納品伝票により買入れていること、河野建設では被告人会社に返品したことが一度もないことが認められること等に照らすと河野建設に販売された鋼材は中山商事から仕入れたものに外ならないと認められ、これと重複する金森七郎からの仕入記載は全く不可解であるという。

二、しかしながら、河野建設に売られた鋼材は金森七郎から仕入れた鋼材であって、中山商事から仕入れた鋼材ではない。内海到着明細(符号三二)によれば中山商事から仕入れた鋼材は内海から河野建設に直送されたように記載されているが、八月一八日玉藤丸によって到着した九×六・〇、七、五〇〇本中一、七四〇本はまだしも八月六日平祐丸によって到着した九×六・五、四、五〇〇本中五〇〇本、九×五・五、六、〇〇〇本中二〇〇本を八月二八日まで内海港においたままにしておくことはあり得ないことであって、これらは第三倉庫に入れられたものである。

しかるに内海到着明細に恰も河野建設に直送されたかのように記載してあるのは第三倉庫に勤務する川崎ミサが後日本社において納品伝票の控をくり内海に到着した鋼材と同じものが河野建設に売られた旨記載しある納品伝票控を見てこれを中山商事からの仕入品と推測し、そのように記載したもので真実ではない。かりに内海から河野建設に直送されたものとすれば、納品書に当然その旨記載されるべきであるが、その記載なく又仕入帳中、中山商事の口座にも、売先を窺わせるような記載がないのに反して金森七郎口座には河野建設に売った旨の記載がありこれら諸般の事情からすれば河野建設に売られた鋼材は金森七郎から仕入れたものであることが明らかである。

原判決は又河野建設では被告人会社が金森七郎から仕入れたとされる日より前の同年八月二七日には既に被告人会社から買い入れているというが仕入帳記載の年月日は記帳の日であって仕入れの年月日ではない。

第七節 現金仕入分

一、泉幸生関係

1.原判決は、被告人会社の仕入帳日商の口座の昭和四二年八月五日の欄に同会社より品名九×四・五、二、一〇〇本、九×七・〇、一、八〇〇本、九×七・五、一、二〇〇本の鋼材を仕入れた旨の記載があること、内海到着明細にこれらの鋼材が同日万吉丸によって内海に到着し、うち九×四・五、二、一〇〇本、九×七、一、一二〇本、九×七・五、一、二〇〇本がNo.三一、五七三の納品伝票で同月二一日太田、高倉運転手により志多組清武中学校現場に運ばれた旨の記載があること、被告人会社の売掛帳中志多組分口座に右内海到着明細に符号する記載あることにより、志多組に売られた鋼材は、日商より仕入れたものであることが明らかであるにかかわらず、他方被告人会社は志多組に納入された右の鋼材と全く同一の品名、数量の鋼材を同年九月一三日泉幸生なる者から五一万一、七五〇円で仕入れたとする領収証が存在し、その裏面には右鋼材を右と同じNo.三一、五七三の納品伝票で志多組に売った旨の記載がある。しかし志多組に売られた鋼材は前記の如く日商から仕入れられたものであることが明らかであり、しかも志多組では返品したことはなかったというのであって同人作成名義の領収証の記載は全く不可解であり、これに前記第二節の一記載の諸点を併せ考えれば泉幸生なる者からの鋼材の仕入れは架空であるといわざるを得ないという。

2.しかしながら日商から仕入れた鋼材は第三倉庫に入れられたものであって志多組に売られたものではない。そのことは仕入帳(符号三四)中日商分口座の八月五日の欄の備考欄に第三の鉛筆書きの消しあとがあること、日商からの鋼材を選んできた万吉丸が内海に到着したのが八月五日であるにかかわらず八月二一日まで同所にとめおくことは考えられないこと、内海到着明細は前述の如く川崎ミサが後日推測で書いたもので正確なものではないことから容易に認められるところであり、志多組に売られた鋼材は泉幸生から仕入れたものであることはその領収書(符号四三)裏面に志多組と明記されていることによって明らかである。なお原判決が泉幸生からの仕入日という昭和四二・九・一三は代金の支払日であって仕入日ではない。

二、北野道夫関係

1.丸紅飯田からの仕入と重複するものがあるとの点について

(一) 原判決は、被告人会社の仕入帳中、丸紅飯田の口座の昭和四二年七月二二日の欄に同会社より品名九×五・五、一、九〇八本、九×六・〇、二、〇九一本、九×六・五、四三〇本の鋼材を仕入れた旨の記載があること、その備考欄に七月二二日志多組五二五、二一八円等の鉛筆書きの消しあとがあること、売掛帳の志多組口座の同年七月二二日の欄に右と同品名、同数量の鋼材をNo.二八、八二二の納品伝票により五二五、二一八円で売った旨および宮銀の記載があること、丸紅飯田の支払明細書にミヤザキBKと記載されていること等を総合すれば右丸紅飯田から仕入れた鋼材が志多組の宮崎銀行高千穂支店工事現場に届けられたものであることが明らかであるにかかわらず、被告人会社では志多組に売られた右の鋼材と全く同じ品名、数量の鋼材を北野道夫なる者から、四九万五〇円で仕入志多組に前記と同じ番号のNo.二八、八二二の納品伝票で納入した旨の北野道夫作成名義の領収証が存する。しかし志多組に売られた鋼材は、前記の如く丸紅飯田から仕入れたものであり、北野道夫から仕入れた旨の右領収証の記載は全く不可解であり、これに前記第二節の二記載の諸点を併せ考えればその仕入れは架空であるという。

(二) しかしながら、志多組宮崎銀行工事現場に納品された鋼材は北野道夫から仕入れた鋼材であって、丸紅飯田から仕入れたものではない。なるほど被告人会社では丸紅飯田に注文する際はこれを志多組の宮崎銀行工事現場に納品する予定であったが、その後北野道夫から必要量の鋼材を入手したのでこれを志多組に納品したものである。そのことは北野道夫の領収証(符号四三)にNo.二八、八二二の納品伝票番号が記載されているが、丸紅飯田から仕入れた鋼材の関係書類にこれがないことによって明らかである。尤も仕入帳(符号三四)中丸紅飯田の口座の同日の欄の備考欄に志多組云々の消しあとがあるとのことであるが、これは丸紅飯田から到着した鋼材の検収係がはじめこれが志多組に納品されるものと思い、志多組と記載したため仕入帳の記載係もそのとおり記載したが後日訂正された検収票がきたためこれを抹消したもので、これあるが故に志多組に売られた鋼材は丸紅飯田から仕入れたものと断ずることは誤りである。

2.光洋商事からの仕入れと重複するものがあるとの点について

(一) 原判決は、被告人会社の仕入帳中、光洋商事の口座の昭和四二年七月十七日の欄に同会社より品名H型鋼一本、I型鋼四本を仕入れた旨の記載があること、内海到着明細にこの鋼材が生玉丸で到着したことおよび三和鉄工、七・一七、No.二八、三二一等が記載されていること、売掛帳中三和鉄工の口座の七月一七日の欄に右と同一品名、同数量の鋼材を代金一八万五、〇五九円で売った旨の記載があること等により三和鉄工に売られた鋼材は光洋商事から仕入れた鋼材であることが明らかであるにかかわらず、他方において、被告人会社は三和鉄工に売られた鋼材と全く同一品名、同数量の鋼材を北野道夫なる者から一七万六、二六二円で仕入れた旨の記載ある同人作成名義の領収証(符号四三)が存在し、その裏書にはこれを三和鉄工にNo.二八、三二一の納品伝票で売った旨の記載がある。しかし三和鉄工に売られた鋼材は前記の如く光洋商事から仕入れたものであることが明らかであり、しかも三和鉄工では右鋼材を返品して取り替えたことはないというのであるから右北野道夫作成名義の領収証の記載も全く不可解でありこれに前記第二節の一記載の諸点を併せ考えればその仕入は架空であるという。

(二) しかしながら原判決の右認定は間違っている。事実は被告人岩切が第六二回公判において供述するように、三和鉄工より注文を受け北野道夫から仕入れた鋼材を三和鉄工に納めようとしたが錆がひどくクレームがついたのでこれを持ち帰り光洋商事から仕入れた鋼材と取りかえて納品したという事情から前記のような記載になったもの(記録四六四〇丁)で架空仕入ではない。

三、坂田年夫関係

1.原判決は、被告人会社の仕入帳の岩井産業の口座の昭和四十二年六月十一日の欄に、同会社より品名一六×五・〇、二七〇本等一、七二〇本の鋼材を仕入れた旨の記載があること、駅到着丸鋼明細に被告人会社は同月一二日うち七〇七本をNo.二五、〇四一の納品書により第一工業の林業会館建設現場に納入したことになっておりこれにそう納品伝票(符号一二九)も存在するにかかわらず、他方において被告人会社では右七〇七本と全く同一品名、数量の鋼材を坂田年夫なる者から代金二五万九、〇〇〇円で仕入れた旨記載された領収証(符号四三)が存在し、その裏面にはこれを第一工業にNo.二五、〇四一の納品伝票で売った旨の記載が存する。しかし駅到着丸鋼明細は真実の取引を記載しているものと認められるところ岩井産業から仕入れた鋼材こそ右納品番号で第一工業へ納入されたものと認められ坂田年夫作成名義の右領収証に記載された仕入は架空であるという。

2.しかしながら駅到着丸鋼明細の記載は必ずしも正確なものではない。なるほど岩井産業から仕入れた鋼材がトラ三〇〇九で駅に到着したことは認めるが、そのうちの七〇七本が六月一二日No.二五、〇四一の納品伝票により第一工業の林業会館現場に納品された旨の記載は正確ではない。駅到着丸鋼明細は内海到着明細同様、第三倉庫に勤務する者が後日夜間本社に来て納品伝票控を繰り自己の推測により納品先、納品伝票番号等を記入していたもので決して真実の取引が記載されていたものではないのに反して坂田年夫の領収証裏面の記載は同人より仕入れた鋼材を検収した者が検収表に基いて記載したものでこれの方が正確なものであり同人からの仕入れは架空ではない。

四、白木明年関係

1.原判決は、被告人会社の仕入帳の三菱商事の口座の昭和四二年七月二八日の欄に同会社より品名三×二五×二五×六・〇等合計八一〇本の鋼材を仕入れた旨の記載があること、内海到着明細(符号三一)にこれらの鋼材が七月二八日宮藤丸により到着した旨の記載があること、被告人会社の売掛帳の宮越鉄工の口座の七月三一日の欄に右と同じ品名、数量の鋼材をNo.二九、六五二の納品伝票により売った旨の記載あること等により三菱商事から仕入れた鋼材は全部現実に宮越鉄工所へ納入されたものであることが明らかであるにかかわらず、他方被告人会社には右と同一の品名、数量の鋼材を白木明年なる者から合計三〇万三〇〇円で仕入れたとする同人作成名義の領収証(符号四三)があり、その裏面にはこれを宮越鉄工所にNo.二九、六五二の納品伝票で納入した旨の記載が存する。しかし宮越鉄工所に売られた鋼材は前記の如く三菱商事から仕入れたものであり、白木明年作成名義の領収証の記載は不可解であり、これに前記第二節の一記載の諸点を併せ考えればその仕入れは架空であるといわざるを得ないという。

2.しかしながら内海到着明細の記載は必ずしも正確なものではない。右商品はアングルといわれているものであるところ、三菱商事から仕入れたこのアングルが宮藤丸により内海に到着したことは事実であるにしても、これがNo.二九、六五二の納品伝票で宮越鉄工所に納品された旨の記載は正確ではない。内海到着明細の作成経過については前述のとおりであるほか、これを運搬したものとして記載されている太田運転手は検察官に対し、アングル等の鋼材は第三倉庫に搬入することになっていたと供述していること(記録一二七〇丁)、No.二九、六五二の納品書には<配>の記載しかないこと、(内海より直送されたものであれば内海直送と記載される。)等によりこの鋼材は第三倉庫に入れられたものと認められるのに反して、白木明年の領収証裏面の記載は同人より仕入れた鋼材を検収した者が検収表に基いて記載したものでこの方が正確なものである。

五、杉原保関係

1.原判決は、被告人会社の仕入れ帳の光洋商事の口座の昭和四二年八月一日の欄に同会社よりアングル三×四〇×四〇×六・〇、五四〇本の鋼材を仕入れた旨およびその備考欄に宮越鉄工二六万一、三六〇の鉛筆書きの記載があること、内海到着明細(符号三一)にこの鋼材が七月三一日玉藤丸により到着したこと、この五四〇本の鋼材全部につき、宮越鉄工、八・一、No.二九、七九四の記載があること、被告人会社の売掛帳(符号四八)の宮越工分口座の八月一日の欄に右と同じ品名、数量の鋼材をNo.二九、七九四の納品伝票により二六万一、三六〇円で宮越鉄工所に売った旨の記載あること等により被告人会社は光洋商事から仕入れた鋼材を宮越鉄工所に販売したことが認められるにかかわらず他方において被告人会社には右と全く同一の品名、数量の鋼材を杉原保なる者から代金二五万五、四〇〇円で仕入れたとする領収証がありその裏面には右鋼材を光洋商事から仕入れた鋼材の販売の場合と同じ納品番号で宮越鉄工所に納入した旨の記載が存する。しかし宮越鉄工所に売られた鋼材は前記の如く光洋商事から仕入れたものであり宮越鉄工所では被告人会社から右鋼材を重ねて仕入れた事実はないというのであるから杉原保作成名義の領収証の記載は全く不可解であり、これに杉原保なる者の存在自態が把握しようのないことを併せ考えると杉原保なる者からの仕入も架空であるという。

2.しかしながら、本件は被告人岩切が第六三回公判において供述するように杉原保から仕入れた鋼材を宮越鉄工所に納品したがその一部にクレームがついたので、倉入れされていた光洋商事から仕入れたアングルと一部取りかえ納品したため検収係が売先を宮越鉄工と記載して仕入係に廻したことから以上の記載になったもので宮越鉄工所に売られた鋼材には一部光洋商事からの仕入分もあるが、全部ではない。(記録四六六五丁、四六六六丁)

原判決は、内海到着明細の記載をもって実際の取引を記帳したものとなすが、内海到着明細は必ずしも正確なものではないこと前述のとおりである。

六、菅原成吉関係

1.原判決は被告人会社の仕入帳の光洋商事の口座の昭和四二年七月一三日の欄に同会社よりアングル三×二五×二五×六・〇、六〇〇本の鋼材を仕入れた旨の記載があること、内海到着明細(符号三一)にこの鋼材が七月一二日南丸により到着したこと、この六〇〇本全部につき長友農機、七・一三、No.二七、八九七の記載があること、この記載にもう納品伝票No.二七、八九七(符号一三一)が存在すること、被告人会社の売掛帳の長友農機の口座の七月一二日の欄に記載されている売上先、品名、数量、納品番号がすべて右内海到着明細の記載と一致していること等を総合すると被告人会社は光洋商事から仕入れた鋼材を現に長友農機に売ったものであることが認められるにかかわらず、他方被告人会社には右と全く同一の品名、数量の鋼材を菅原成吉なる者から一四万一、一二〇円で仕入れたとする同人作成名義の領収証(符号四三)があり、その裏面には前同様No.二七、八九七の納品伝票で中友農機に納入した旨記載されている。しかし前記の如く光洋商事から仕入れた鋼材が長友農機に売られたものであることは明らかであるうえ長友農機では二重に仕入れたり、返品取り替えをしたこともないというのであるから右菅原成吉作成名義の領収証の記載は不可解であり以上に加えて菅原成吉なる者の存在自体が把握しようのないことを併せ考えると菅原成吉なる者からの仕入れも架空であると認めざるを得ないという。

2.しかしながら原判決引用の証拠をみると仕入帳の右欄の備考欄に第三と鉛筆書きされており内海到着明細の右の記載は横線をもって抹消されている事が明らかである。このことは光洋商事から仕入れられた鋼材は第三倉庫に入れられたものであること、川崎ミサは納品伝票控によりこの鋼材が長友農機に売られたものと思いそのように記載したが後日その誤りであったことに気付きこれを抹消したものであることを示すものであって、これらの点からみれば、長友農機に売られた鋼材は菅原成吉から仕入れた鋼材であることが明らかである。原判決は太田喜市の検察官に対する供述調書中の「宮崎駅や内海港で仕入鋼材を受けとりトラックに積んで第三倉庫に運搬した時点ですぐにその鋼材を転売先に持って行くよう指示を受けることもあった」(記録一二六五丁)との供述記載を引用し、内海到着明細の記載が原判決の認定と矛盾するものではないことの根拠とするが、内海到着明細の記載は光洋商事から仕入れた鋼材が長友農機に納品されたことを否定するものであって、原判決の認定と両立するものではない。

七、立山国夫関係

1.原判決は、被告人会社の仕入帳の光洋商事の口座のうち、昭和四二年八月九日の欄に、同会社より鉄板四・五×一五二四×三〇四八、四〇枚を仕入れた旨の記載があること、内海到着明細(符号三一)に、この鉄板四〇枚が七月三一日玉藤丸により到着したこと、この四〇枚全部につき川原業務店、No.三〇、五七四の記載あること、被告人会社の売掛帳の川原建材の口座のうち八月九日の欄に右と同じ品名、数量の鉄板をNo.三〇、五七四の納品伝票により二七万五、五二〇円で売った旨の記載あることにより、光洋商事から仕入れた右鉄板が現実に川原建材に納入されたものと認められるにかかわらず、被告人会社には右と全く同一の品名、数量の鉄板を立山国夫なる者から二六万二、四〇〇円で仕入れたとする同人作成名義の領収証(符号四三)があり、その裏面には右鉄板を川原建材にNo.三〇、五七四の納品伝票で納入した旨の記載がなされている。しかし川原建材に売られた鉄板の仕入れ先が光洋商事であることは明らかであるから立山国夫作成名義の領収証の記載は全く不可解でありこれに加えて立山国夫なる者の存在自体が把握しようのないこと等を併せ考えると立山国夫なる者からの仕入れも架空と認めざるを得ないという。

2.しかしながら、仕入帳中川原建材二七五、五二〇の記載は誤記である。何故ならば玉藤丸により七月三一日到着したこの鉄板は第三倉庫に入れられたものである。そのことは太田喜市が検察官に対し「鉄板については直接買主のところに運搬したという記憶がないので第三倉庫に搬入したと思う」旨(記録一二七一丁、一二七二丁)供述していることにより明らかである。そして川原建材店に納品されたのは立山国夫から仕入れたものであるところ、仕入れが同一の品名、数量であったため大手の光洋商事からの仕入品と誤認し同会社の口座に記入したものと認められるのであり、内海到着明細は前述のように川崎ミサが後日納品書を繰り推測によって記入したものであって正確なものではない。

第八節 架空仕入 結論

被告人会社の公表帳簿の仕入計上中、原判決が架空となすものの各根拠については、以上述べたとおりいずれもその理由がないものと確信するのであるが、更にこれらの者らからの仕入れ鋼材、鉄鋼製品には全部得意先に売られたことの裏付あることは証拠によって明白である。(弁論要旨添付の資料四、五記録五一九五丁から五二五三丁まで)ところで原判決は、起訴状に従い現金仕入分については大手商社からの仕入分と重複しているとするものだけを架空仕入れと認定するのであるが田中直人、富岡精次、藤田吾一、岡村覚二、金森七郎らからの仕入れが極く一部大手商社から仕入れた鋼材と品名、数量に重複しているものあることを理由としてこれらの者らからの仕入れ額全額を架空仕入れの計上とする。しかしながら、山田商事分を含め仕入れ計上をしている商品がすべて売られているという事実は、現実に仕入れされたことの何よりの証拠である。

従って原判決としてこれらを架空仕入れの計上と認定するためには、単にその者の存在自体が把握しようがないとか、領収証の形態が不自然であるとか重複仕入れ分があるとかの指摘にとどまらず、これらの者らから仕入れ、得意先に売られたとする鋼材等の出所について首肯するに足る認定とその理由を示すべきものと思料するのであるが(その立証責任は検察官にある。)山田商事分については「それらの販売商品がはたして山田商事から仕入れたものであるか否かについてはこれを肯定するような証拠はなく被告人岩切自身もその関連を説明できない」(原判決書九五丁)としてその立証責任を被告人に帰し、田中直人ら一二名分に関しては「それが他の商社からの仕入商品の転売の状況を引き写しただけに過ぎないと認められるものが田中直人ら一二名のすべて関係で存在する」(原判決書一二六丁)とするだけで具体的な関連を示していないのであって、結局審理を尽さなかった結果事実を誤認するに至ったものと思料する。

以上のとおり原判決には訴訟手続に関する法令の違反及び事実の誤認があり、その違反及び誤認は何れも判決に影響を及ぼすことが明らかであるからこれを破棄し、被告人会社及び被告人岩切に対し無罪の判決を求めるため、本件控訴を申立てた次第である。

以上

昭和五七年(う)第三五号

控訴趣意書

所得税法違反等 被告人 大野惟孝

右の者に対する頭書被告事件の控訴の趣意は次のとおりである。

昭和五七年六月二一日

弁護人 佐藤安正

福岡高等裁判所宮崎支部 御中

一、原判決は事実の誤認があり、破棄されるべきである。

二、原判決は、判示第二の一事実において被告人の昭和四二年度中における所得中、岩切商事株式会社の中村勇夫に対する貸付の手数料として被告人が取得したもの金二、五八五万円、及び岡勢の赤江農協に対する導入預金関係での手数料としての金九四五万円があった、と認定しているが、これは明らかな事実の誤認である。

三、まず、岩切商事の中村に対する貸付に関する手数料は、被告人は終始否認するものであって、原審判決の根拠となったものは中村の自白調書のみであるが、中村は昭和四八年一二月六日死亡し、その検察官に対する供述調書は全く弁護人の反対尋問にさらされていないことは原判決も認めるものである。

又、被告人は大興商事株式会社の代表取締役であり、同社は昭和四二年七月三〇日まで金融をも行っていたものである。従って被告人は金融に関する業務を行った場合でもその主体はあくまでも会社であり、被告人は大興商事から給料を受けたにすぎなかったのである(記録二九八九丁以下)。

ゆえに、中村に関する仲介手数料を被告人が受けていたとしても、昭和四二年七月二五日までの合計金一、一四〇万円は被告人個人の所得ではなく大興商事の所得となったものである。

同様に、岡勢の導入預金に関する手数料に関しても、昭和四二年七月二五日までの仲介手数料合計金六四五万円は大興商事の所得であって、被告人の所得とはなり得ないものである。

四、仮に右各手数料が被告人個人の収入になるとしても、岡勢の導入預金に関する被告人の収入は金九四五万円ではなく金四五〇万円である。

当初被告人は、導入預金に関する手数料については一分五厘あるいは二分五厘の率によるものと述べていたが、後に真実は小林正雄という真の金主がおり、それがため被告人の取得分は月一分であると述べている。(記録二九三九丁以下)。この主張は第四七回公判において突然なされたものであるが、その前に岡勢が同趣旨の証言をし、小林被告人と数回に亘って会っていること、預金については岡勢に決定権はなく小林にあったことを述べると共に、小林の名を出したのは小林が死亡したためその名を伏せる必要がなくなったことによるものであることを明らかにしたが(記録二八九九丁以下)、この証言の信憑性は高いものであると思われる。であれば、岡勢の導入預金に関する被告人の手数料は総計金四五〇万円である。

五、判示第二の一及び二事実についても、預金者が特定の第三者と通じることが預金等に係る不当契約の取締に関する法律第二条第一項の要件であるにもかかわらず、岡勢は中村を全く知ることがなかったし、これと相通じたということもないのであるから、原審の認定は明らかに誤るものである。

よって、原判決は破棄されるべきものと思料される。

以上

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